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賛否両論・笠原家の食卓が「きちんとしてない」訳 「理想の食事」からもっと自由になってもいい

東洋経済オンライン / 2024年1月31日 13時0分

僕の場合、夕ごはんのときは先につまみを食べて、ごはんは締めで最後にしたいから、食べる順序も息子とは真逆だったりする。

ふだんの僕の夕ごはんと言えば、店で出した刺身の切れ端とか、形の悪い部分や、ちょっとお客さんには出せないものなどを持ち帰って、ささっと食べているという感じだ。それに納豆ごはんとかを合わせたり。ちょっと最近食べすぎだなと感じたときは、冷奴に何か垂らして、「ごちそうさん!」というときもある。

みんな忙しいし、食べる時間もばらばら。リアルな食卓は、多くの家庭がそんな感じなのではないかという気がする。

だからと言って、気持ちが離れているというわけではない。

我が家では、たまにみんなが揃う日がわかったら、そのときはスーパーに行って、ちょっといい食材を買い込んで、気合いを入れて作ったりしている。

家のごはんなのだから、そういう我が家の"家族のカタチ"みたいなものを、もっと慈しんでいいように思う。

「サザエさん」やテレビCMなどに惑わされることなく、ありのままの家族の食卓に自信を持っていいのではないか。そうなれば、ごはんを作る人の気がラクになるし、食べる人も気軽においしく味わえるはずだ。

修業時代の師匠の教え─「人の役に立て」

僕は、関西の日本料理店で9年間修業をした。

下働きから始まった修業は大変厳しいものであったが、料理人としての心構えがこの修業によって身についたと言える。

技術はもちろんのこと、修業時代に学んだことはすべて今に生きていると思っている。

そのなかでも特に心に残っているのは、

「自分に余裕があったら人の役に立つことをしろ」

「なんにもやることがないなら仕事をしとけ」

という師匠の言葉だ。

「人間、暇だと余計なことをする」というのが、僕の師匠の口癖だった。

「もし、料理人としての仕事が途切れることがあっても、料理人じゃない仕事をしてでも働き続けろ」と。

やることがなくてフラフラしていると、なんとなく行ったパチンコ屋で散財する……、なんてこともあるかもしれない。

人間、仕事をしていれば何かの役には立つし、自分の腕も上がる。いいことづくめということだ。

料理人は人を幸せにする仕事

食べてくれる人を喜ばせるために、僕はずっと料理の技術を磨いていると思っている。

僕が初めて包丁を持ったのは小学5年生くらいのときだった。見様見真似で焼きそばとかチャーハンとか、自分が食べたいものを作っていた。

土曜日の昼は給食もないから、豚汁を作ったり。たまたま自分の部屋にオーブンがあったから、お菓子作りにもハマったりした。

親父が料理しているのを間近で見ていたので、「なんとなく、こうやったらできるんじゃないかな?」という感じでいろいろ作っていた記憶がある。

「ペヤングソースやきそば」の上に炒めたハムをのせたり、「どん兵衛」に野菜炒めをのせたり……。

市販品をどんどん自己流にカスタマイズして、グレードアップさせることに夢中になっていたことを思い出す。

今は市販品やレトルト食品もとても充実しているが、そういうものを自分好みにアレンジする方法はいくらでもある。おなかがすいたときに、市販品に頼るのはもちろんいいのだが、自分好みにアレンジできたら、それは、すごくクリエイティブなことだと思う。

笠原 将弘:「賛否両論」店主

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