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極限を生き抜いた男の人生とトヨタへの愛憎 『トヨタ 中国の怪物』児玉博氏に聞く

東洋経済オンライン / 2024年2月12日 7時30分

愛していた。トヨタの中国での躍進は彼の誇りだ。服部さんは中国という国に苦しめられたが、最後は中国に救われた。トヨタをツールに自分の能力を発揮して、大きな成果を得た。約束は果たされなかったが、豊田章一郎氏から「役員にする」「自家用ジェット機をプレゼントする」という言葉をもらった。彼の到達点だ。

トヨタでは粛々と仕事をする人間がよいとされる。「俺がやった」と誇る服部さんのような人間が、トヨタで役員になるのは難しかった。複雑な思いがある。

――豊田章男氏への感情は。

「章男ちゃん」と呼ぶくらい親近感がある。顧問を退くあいさつに行ったとき、「服部さんのおかげ」と言ってもらったことは本当にうれしかった。自分をうまく使ってくれた恩人という思いを持っている。

対象人物と抱き合い心中する覚悟で書く

――今作品に限ったことではありませんが、ノンフィクションを書くうえでどこまで事実の裏取りをするものでしょうか。

1冊の本を書くときに、内容すべての裏取りはできない。今作品の場合、とくに中国時代のことを調べるのは不可能だし、トヨタ時代の評価も極端に分かれる。私が知っている服部さんは一面でしかない。

ノンフィクション作家とは、人間が背負った業や運命を書き残す役目とどこか割り切っている。対象人物と天国でも地獄でも一緒に行く、抱き合い心中するくらいの覚悟で書いている。

それは東芝の社長・会長を務めた西田(厚聰)さんについて書いたときも同じだ(『テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅』)。結果として彼は東芝を迷走させた人物。だが、胆管がんを患う中での最後の取材でも、ついに社員や会社に対する謝罪の言葉はなく、自身の正当性を3時間話し続けた。その我執に暗澹たる思いがしたが、私が謝罪の言葉を誘導してはいけない。迷ったが、このインタビューを『テヘランからきた男』の最後に載せた。

――どういった経緯で人物にフォーカスしたノンフィクションを書くようになったのですか。

ペンを持たせてもらったのが25歳、今年で40年になる。20代、30代はニュースを中心に書いていた。東京地検特捜部に強く、スクープを得意としていた。事象を書く場合は事実の確認が必要で、徹底的に調べていた。

当時、本を書きたい、長い文章を書きたいとは思っていたが、何を書きたいかわからなかった。チャンスをくれたのは日経ビジネスだった。その後、50代半ばに文藝春秋の仕事でセゾングループ元代表で作家でもある堤清二さんにインタビューをした。1回1時間の予定が7回、16時間話してくれた。

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