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綱渡りな「明け方の恋の道」に募る、その女の不安 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・夕顔④

東洋経済オンライン / 2024年2月25日 16時0分

「ほら、聞いてごらん。現世利益かと思ったら、そうではない、あの人も今世ばかりとは思っていないようだ」と言い、詠む。

優婆塞(うばそく)が行ふ道をしるべにて来(こ)む世(よ)も深き契(ちぎ)り違(たが)ふな
(修行する人の仏の道に従って、来世でも、二人の深い約束に背かないでくださいね)

未来への約束はいかにも大げさだけれど

長恨歌(ちょうごんか)にうたわれる玄宗(げんそう)皇帝と楊貴妃(ようきひ)の例では縁起が悪いので、死んだら比翼(ひよく)の鳥に生まれ変わろうとは言わず、弥勒菩薩があらわれるはるか先の未来を持ち出して約束するのである。そんな遠い未来への約束はいかにも大げさなのだけれど、女は、

前(さき)の世(よ)の契り知らるる身の憂さにゆくすゑかねて頼みがたさよ


(前世の宿縁のせいでこんなにつらい身の上であることを思うと、未来のことも頼みにできそうもありません)

といかにも心細い返歌をする。

沈むのをためらう十五夜の月みたいに、行き先もわからないまま出かけるのをためらう女に、あれこれと言い含めているうちに、月は雲に隠れ、空がゆっくりと白んでいく。人目につくほど明るくならないうちにと、光君は急いで先に出て、軽々と女を車に乗せてしまう。女房の右近もあわてて付き添い乗りこんだ。

そのあたりに近い、とある家に着いた。管理人を呼び、光君は荒れ果てた庭を眺める。門には忍草(しのぶぐさ)が生い茂り、木立も鬱蒼(うっそう)として薄暗い。朝霧も深く、車の簾(すだれ)を上げただけで、着物の袖がびっしょりと濡れるほどである。

ひどくこわがって、気味悪そうになる

「こんなふうなことをするのははじめてだけれど、いろいろ気苦労が多いものだね。

いにしへもかくやは人のまどひけむわがまだ知らぬしののめの道
(昔の人もこんなふうに心を惑わせたのだろうか、私が今まで知らなかった明け方の恋の道を)

あなたは経験がありますか?」

光君にそう訊かれた女は、恥ずかしそうに、

「山の端(は)の心も知らでゆく月はうはの空にて影や絶えなむ
(行く先もあなたのお気持ちもわからないのに、あなたを頼りについてゆく私は、山に沈もうとする月のように、空の途中で消えてしまうのかもしれません)

心細いです」

と、ひどくこわがって、気味悪そうにしている。あんなに立てこんだところに住んでいるからそんなにこわがるのだろうと思うと、なんだかおかしかった。

次の話を読む:不思議なほどに愛しすぎ、その思いが人を殺める

*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです

角田 光代:小説家

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