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「源氏物語で最多引用」紫式部がリスペクトした男 度々登場し、後世に知られるようになった作品

東洋経済オンライン / 2024年3月17日 9時40分

藤原兼輔は、「三十六歌仙」の1人に数えられるほどの和歌の名人で、従三位、中納言兼右衛門督まで昇進した。こんな作品を残して、小倉百人一首に選ばれている。

「みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ」

みかの原を湧き出て流れる泉川よ、その人をいつ見たといっては、恋しく思ってしまう。本当は一度たりとも見たこともないのに……。

紫式部は、この兼輔から伯父の為頼、そして父の為時へと受け継がれた邸宅で、生まれ育った。兼輔は「堤中納言」の名で知られたが、それは邸宅が鴨川の西側の堤防に接しており、「堤邸」と呼ばれたことに由来している。

紫式部は、兼輔が残した堤邸で、多感な青春時代を過ごしただけではなく、人生の大半を過ごした。父と同行した越前から戻ると、堤邸に夫の藤原宣孝を迎えて、娘の賢子を育てている。さらに、『源氏物語』を書いた場所も堤邸である。

紫式部が気に入った和歌

創作活動を行いながら、和歌で名を馳せた曽祖父のことを、堤邸でたびたび思い出したのだろう。兼輔が残した作品のなかでも、紫式部がとりわけ気に入ったのが、次の和歌だったようだ。

「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」

子を持つ親の心は闇というわけではないが、子どものことになると道に迷ったようにうろたえるものですな……。

紫式部は『源氏物語』で曽祖父の歌を多く引用しており、この「人の親の心は……」が最も多く使われている。『源氏物語』が読み継がれることで、兼輔の歌も後世により広く知られることになった。これ以上の「曽祖父孝行」もないだろう。

そうして紫式部が受け継いだ和歌の才能は、さらに紫式部の娘、大弐三位(賢子)にも引き継がれていくことになる。

(つづく)

【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
笠原英彦『歴代天皇総覧 増補版 皇位はどう継承されたか』 (中公新書)
今井源衝『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
倉本一宏『敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇』 (角川ソフィア文庫)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
鈴木敏弘「摂関政治成立期の国家政策 : 花山天皇期の政権構造」(法政史学 50号)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)

真山 知幸:著述家

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