1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

「アドラーの本は難しい」と思われる意外な背景 自らの経験から考えた「劣等感」の向き合い方

東洋経済オンライン / 2024年3月24日 17時30分

この劣等感とは、「私は兄より背が低くて嫌だ」とか「体が弱いのがつらい」などのように、誰かと比べて、主観的に「自分は劣っている」と感じることです。

一方で「劣等性」は、客観的な属性で、「背が低い」「喘息を患っている」という欠点や欠損があるだけです。その「劣等性」を人と比べて、主観的に「自分は劣っている」と感じると「劣等感」になります。

しかしながら、この「劣等感」をアドラーは「悪くない」と言いきります。大事なのは、「劣等感をどう生かすか」だからです。

「劣等感があるからこそ、成長できる。糧にして努力できる」と考えたのです。まさにアドラー自身が、自分の体の弱さからくる劣等感がありながらも、それを糧にして医師になっています。

フロイトとの関係性

アドラーは眼科、のちに内科、そして精神科と分野を移行させていきます。

そして、フロイトと出会います。ただ、ここでよく誤解されていることがあります。アドラーがフロイトの「弟子」だという説です。

アドラーがフロイトの弟子であったことはなく、1902年にフロイトの招きに応じる形で9年間、共同研究に携わっていたと表現するほうが適切です。こんなエピソードが残っています。

ニューヨークのホテルで、欲求段階説でも有名なアブラハム・マズローとアドラーが夕食をとっていたときのことです。マズローがアドラーに「フロイトのもとで修業をしていたこと」について、それとなく質問してみました。

すると、アドラーはとても怒り、「自分は一度だってフロイトの生徒であったことも、弟子であったことも、支持者であったこともない」と大声を出して反論したそうです。

似た出来事は、アドラーの60歳の誕生日の日にもありました。

彼がウィーン市から名誉市民の称号が与えられる公の席でウィーン市長がアドラーを「フロイトの功労のある弟子」と紹介したのです。アドラーは深く傷つき辱められた思いを抱いたようです。

普段は激怒するようなこともなく、温厚で寛容だったと彼の弟子や子どもたちによって語られているアドラーです。したがって「フロイトの弟子」扱いは、彼にとって怒りの導火線になっていたことがわかります。

さて、1911年にフロイトと袂を分かつことになったアドラーですが、その後、精神科医療の世界にもとどまらず、ウィーンのカフェテリアで人に会い、議論を重ねる市井の人として心理学を深めていきます。

アドラー心理学は、心を病んだ人ではなく、健康な人、普通の人のための心理学として発展を遂げていくのです。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください