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道長の兄「藤原道隆」弟にさらけ出した見苦しい姿 死ぬ間際まで飲むことや飲み友達を考えていた

東洋経済オンライン / 2024年3月30日 7時50分

さて、藤原氏の氏長者となった道隆ですが、995年には亡くなってしまいます。

道隆が亡くなった原因

疫病が大流行しているときに亡くなったのですが、『大鏡』によると、道隆の死因は疫病によるものではなく、乱酒のせいだとあります。つまり、道隆は大酒飲みだったというのです。

「男は上戸」(酒が好きでたくさん飲める)などと言って、飲酒することを人生の楽しみの1つとしていたようですね。

賀茂祭の見物の際にも、酒がめを作らせて、それに酒を入れて飲みつつ、見物していたとのことなので、相当なものです。車のなかで見物していたのですが、飲めば飲むほど酔ってしまい、ついには、車の前後の簾をすべて巻き上げてしまいます。それだけではなく、烏帽子を外し、髻(もとどり)もあらわになってしまいました。

当時、髻をあらわにするということは、大変恥ずかしいことと考えられていたので、『大鏡』にも道隆の様子を「見苦しい」と記されています。

ぐでんぐでんに酔い、前後不覚となった道隆。装束を乱し、人に介抱されながら、帰宅しました。迷惑と言えば迷惑、大胆と言えば大胆です。

弟・道長と兄・道隆の酒にまつわる逸話もあります。

関白が賀茂詣をするときは、社殿の前で土器に入った酒を3回勧めるのを例としていました。しかし、道隆が参詣するときは、神社側も心得たもので、大土器で7回、8回も酒を勧めたそうです。

そのため、上賀茂神社に参詣する途中で、道隆は早くも酔い潰れてしまいました。道隆は、仰向けに倒れて、前後不覚になり、眠ってしまったのです。

このとき、道長も賀茂詣をしていたのですが、兄・道隆が乗っている車を見ても、兄の姿が見えないことに気づきました。おかしいなと思いつつも、車は上賀茂神社の前に到着します。道隆が乗っている車も、神社前に着いたのですが、それでも道隆は酔って、眠ったまま。供の者も遠慮して、道隆を起こすことができなかったようです。

酒好きは生涯変わらなかった

道長もこのままにしておくのは、よくないと思ったのでしょう。「やぁ、やぁ」と声をかけたり、扇を鳴らしたりしますが、それでも兄は目を覚ましません。どうしようもないので、道隆に近寄り、彼の袴の裾を強く引っ張り、やっと起き出す有様でした。

普通は、泥酔状態から目覚めても、動作が鈍くなりますが、道隆は違いました。素早く、身づくろいして、車から降りたのです。それまで、酔い潰れていた人とは思えない素早さでした。

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