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いじめや性加害など「悪事」が見過ごされる現実 群衆は悪事を止めるために何もしようとしない

東洋経済オンライン / 2024年4月1日 15時0分

彼女の息子ディランは、1999年に同級生のエリック・ハリスとともに、コロラド州のコロンバイン高校で十数人を殺害しました(訳注:コロンバイン高校銃乱射事件)。

彼女は「人々は身近に邪悪な存在がいたとしても、それは自分たちで認識できると信じ込まなければいけませんでした。ディランは怪物だったという考え方は、その際に重大な目的を果たしたのです」と述べています。

なぜ私たちは、「悪人が悪事を働く」と決めてかかってしまうのでしょう?

それは、私たちが知る善良な人々、例えば、友人や家族、そして自分自身が、そんな悪いことをするはずがない、という信念が私たちに安心を与えてくれるからです。

ところが、学校の運動場での弱いものいじめ、大学のフラタニティ(fraternity:男子学生社交クラブ)での新入生いじめ、職場でのセクハラなど、善人が悪事を働くことはあり得ますし、実際に行われてもいます。

悪事を止めるということは、単純に怪物を特定してその行為を止めさせればよいというものではありません。

善人が間違った選択をする要因を特定して、悪事の発生を防ぐ、あるいは少なくともその可能性を減らすことが不可欠なのです。

助けようとした人は一人もいなかった

冒頭で述べた、2人の男子高校生による10代の少女への性的暴行事について全貌を説明します。

あの夜に悪事に加担したのは、有罪が確定した2人の生徒だけではありませんでした。別の2人の生徒が、完全に抵抗できないようにするために少女の手首と足首を掴んでいました。

そして数人の生徒は、全裸で意識を失っている彼女の様子を撮影し、その画像を他の生徒と共有して、ツイッター、フェイスブック、ユーチューブに投稿していました。

暴行を止めようと介入したり、危険な状況から彼女を遠ざけたり、通報して彼女を助けようとした生徒は一人もいませんでした。

少女をレイプした2人の生徒が恐ろしいことをしたのは間違いありません。しかし、他の多くの生徒たちが何らかの形で介入する力を持ちながら、それを選ばなかったことも明らかです。

ある程度ではありますが、彼らの不作為がこの事件を許してしまったのです。

残念ながら、何が起きているのかが明確にわかる状況だったとしても、行動を抑制するプレッシャーを克服できる人はほとんどいないことが示されています。

リンチに関する本の著者であるシェリリン・イフィルは、米国のアフリカ系米国人に対するリンチがしばしば公共の場で実施されていたこと、何百人、時には何千人もの人々がそれを見守っていたことを明らかにしました。

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