「自民完勝」日本政治史初の年金が争点の選挙 年金を巡る攻防の全記録『ルポ年金官僚』より#2
東洋経済オンライン / 2024年4月16日 10時0分
加藤参事官は保険料を出せない人の手当をしつつ、基本は拠出制にすべきとの考えだった。
「無拠出にすると大蔵省は財政の都合で、もうこれ以上出せませんということになり、年金が立枯れになってしまうだろう。拠出制だと、実質価値が維持されないじゃないかという事になるだろうが、いずれ必ず物価に対応させるだろう。だから拠出制にしたい」
逆に岡本参事官は、無拠出制なら大蔵省が給付を上げることにストップをかけるのではと見ていた。
「無拠出にしておけば財政的にこれ以上は出せませんということは言えるわけです。ところが拠出制になったら、最初のうちは受給者がいないから出すものは出さないで、給付のほうだけどんどん上げちゃうんじゃないか」
尾崎局次長は、自身が四面楚歌になっているように感じた。加藤たちは、全国民を対象にした年金はどうしても抜け落ちる人が出てくる、それを補うには無拠出も必要だ、との考えで無拠出制を提示したに過ぎないが、尾崎は無拠出の先行を阻止したいあまり、苛立ちを見せるようになる。
若手の田川明が無拠出に触れたメモを出したところ、
「そんな考えは紙くずと一緒に捨ててしまえ」
と尾崎がその紙を破った一幕もあった。
収拾がつかなくなった尾崎は、事務局長と保険局次長を兼務する小山進次郎のもとを訪ねた。
「弱っているんですよ。このことにケリつけないと、これから事務局が回っていかない」
小山は、
「そりゃ尾崎君。キミの考えは正しいのだから、それでいこう」
と後押しをした。
その後、小山は激務の合間を縫って事務局に顔を出さざるをえなくなった。尾崎と若手官僚たちのバトルは、むしろ活気があっていいと感じていた。
小山は事務局の総意を一気に取りまとめた。拠出制を基本とする一方、「皆年金」に配慮して、すでに高齢の人や、保険料納付が困難な人に保険料免除を設け、「経過的・補完的」に無拠出制を組み合わせる──。そんな方針に固まった。
初の年金が争点の選挙
その頃、衆院解散が取り沙汰されていた。「55年体制」の新たな政治状況が生まれ、信を問うたほうがいいといった程度の理由で「話し合い解散」と呼ばれた。事務局発足から2週間ほどたった1958年4月25日、衆議院が解散。岸信介総理は、日比谷公会堂で行われた遊説第一声の演説でこう述べる。
「国民年金制度は今日の公約で最も注目すべきであり、これを(昭和)34年(1959年)度から逐次実施することにより社会保障の画期的な前進を期したい。これにより生活力に恵まれない老齢者、母子世帯、身体障害者の生活が保障されることとなり、福祉国家の完成へ大きく前進することになると信ずる」
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