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何でもあり、小田原のバチカンが示す国の新しい形 正解がないからこそ、無数のチャレンジができる

東洋経済オンライン / 2024年4月21日 11時20分

北条五代祭、お囃子会、そうめん流し、海での網引き、肝試し、夏祭り、焼き芋、6年生を送る会……イベントは盛りだくさん。どうせやるんなら、大勢の子どもたちに参加してほしい、いっそのこと、よその地区の子どもたちにも声をかけてはどうか、そんな景気のいい話も出始めた。

ただ、子ども会は会費制だから、会費を納めていない他地区の子どもたちが参加すれば「ただ乗り」との声も出かねない。悩みどころだった。

みんなの心がひとつになると一気に活気づいた

イベントの舞台は、小田原藩主・大久保公の菩提寺、大久寺だ。副住職で青年部メンバーの小林正行さんは、お寺はみんなの空間ですよ、とさりげなく言った。この一言は効いた。お金は出せる人が出そう、どの地区の子どもも格安で参加できるようにしよう、という話でまとまった。

みんなの心はひとつになった。それからはあっという間だった。いまでは、お寺には、区域を超えて100人以上の人たちが集まっている。にぎわいは、子どものいる家庭に自然と伝わる。子ども会への入会者も増え、15人前後の子どもたちが会員に名を連ねてくれるようになった。

小学校を卒業すると子ども会は終わる。私立の中学に行けば学校もバラバラ。だから、私たちは希望者がそのまま青年部に入れるようにした。もちろんお酒抜きだが、部会後の飲み会も参加できる。青年部の数はさらに増え、子どもたちの「もらう楽しみ」は「支える喜び」に変わった。

地区の全体行事に防災訓練がある。避難先での炊き出しも大切な訓練の1つで、今年はレトルトのカレーを用意した。訓練の最中、たまたま顔見知りのお年寄りが通りかかった。

「せっかくだからカレー、食べていったら?」

「いや、私は違う地区だから」

「いいよ、気にしないで、食べていきなよ」

何気ないやりとり。だが、この会話のなかに、新しい歴史の鼓動を感じた。

国民が生き延びる道を模索したスウェーデン

貧しい農業小国だったスウェーデンでは、20世紀初頭にP.A.ハンソンが登場し、すべての経済的、社会的バリアを破壊しよう、お互いが家族のように支え合う国を作ろう、と国民に訴えた。「国民の家」という歴史的な演説である。

当時のスウェーデンでは、若者がアメリカに移住し、出生率が下がり、多数の国民が貧しさにあえいでいた。誰もが等しく苦しんでいた時代だった。

だからこそ、彼らは、垣根を越えて、自由と平等をすべての人たちに保障し、一人ひとりが連帯することで、すべての国民が生き延びる道を模索した。のちに言う「社会民主主義」の始まりだ。

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