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「5浪京大」彼女の合格導いた"80歳恩師"との別れ 予備校を転々としていた彼女、恩師の教えとは

東洋経済オンライン / 2024年4月21日 7時0分

「小学生のときから、周囲の人はすでに大学受験を意識していたので、いい学校に行くことが(自分にとって)いいことだという考えがありました。そのため、中学1年生のときから研伸館に通い、いい大学に行くために高校3年生まで、ずっと塾で出される課題についていくために勉強をしていました」

予備校の勉強に追われる高校生活

そして、高校に上がるタイミングで、京都大学の法学部を第1志望に設定します。

「当時は学校の授業が終わったあと、ほぼ毎日、17時から21時まで研伸館の授業を受けて、家に帰っていました。学校の勉強はまったくやらずに、期末テストの範囲がどこかもわからない状態で受けていましたね……。とにかく塾のテキストを頑張ってこなす日々でした」

結局、中学に入学してから初めてのテストでは300人中5位だった彼女の順位はどんどん下がってしまい、高校3年生の最後のほうには150位を切って、下から数えたほうが早くなってしまいました。

学校の成績を犠牲にして京大受験に力を割いた彼女でしたが、模試の判定は、無情にも、3年間ずっとEだったそうです。

「現役のときの成績では、学校の先生にも(京大は)ちょっときびしいと面談で言われたのですが、やってやろうと思って受験しました」と語る彼女でしたが、結局この年のセンター試験は「現代文でパニックになり、ほかの科目でもすごく気持ちを引きずった」ために得点率は72%で終わりました。京大法学部を受けたものの、合格最低点から100点以上足りずに落ちてしまい、浪人が確定したのです。

すでに現役のときから浪人を覚悟していたにこにこさん。決断の理由を尋ねたところ「バカにした人を見返してやりたかったから」と意外な理由が返ってきました。

「自分が中学受験で第1志望・第2志望に落ちたとき、一緒に受験した友達や塾の先生たちに『やっぱりな』と見下されたような気がしたんです。

だから、当時の悔しさを挽回するには東大か京大しかないと思っていて……。関西(の人間)でしたし、京大のほうが面白そうだなと思って志望しました。推薦で受けた某外国語大学には合格したのですが、第1志望以外考えられなかった私にとって、そこ(京大)に行かなければ生きている意味がないと本気で思っていたんです」

大阪大学に進学したものの…

そう決めて駿台大阪南校に入った彼女は、京大文系コースに通い、9時から17時まで授業を受け、帰宅してからその日の復習と次の日の予習をする1年を過ごします。それでも成績は、なかなか上がらなかったそうです。

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