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問題行動を連発「藤原伊周」道長との圧倒的な差 不穏な噂が立ち、誤解を解くべく起こした行動

東洋経済オンライン / 2024年4月28日 8時50分

道隆が43歳の若さで病死したのは、長徳元(995)年4月10日のこと。疫病が大流行する最中だったが、原因は糖尿病だったと言われている。過度の飲酒も糖尿病を引き起こす要因の1つだったようだ(過去記事「43歳で死去「道長の兄」道隆のまさかすぎる死因」参照)。

道隆の死によって、後継者として有力視されたのは、言うまでもなく、伊周だ。伊周は道隆にとって3男だが、嫡妻との間に生まれたという意味では、長男にあたる。器量もよかったからだろう。

道隆は期待を込めて、伊周をスピード出世させてきた。それは、父の兼家が自分にしてくれたことでもある。周囲はもちろん、伊周自身も、後継者と目されていることをよくよく理解していたことだろう。

しかし、そこに立ちはだかったのが、道長である。あるとき、道長の耳に不穏な情報が入ってきた。何でも伊周一派が自分を追い落とそうとしているらしい。

伊周の父、道隆が亡くなった今、後継者としての立場を固めるべく、そんな動きがあっても不思議ではない。

ところが、当の伊周はそんな噂が立っているうえに、道長に知られたと聞いて、かなり動揺したようだ。『大鏡』によると、誤解を解かなければと、伊周は道長の屋敷にわざわざ出向いている。

冷静に考えれば、そんなふうに動けば、相手がより優位な立場に立つことは明らかだ。噂が事実無根、あるいは、事実だとしても確たる証拠がなければ、どっしりと構えて、道長からのリアクションを待つのが、後継者候補である伊周がとるべき態度だろう。

そんな判断も下せないほど、伊周は心を乱されていたらしい。迫力ある叔父の道長のことが、よほど怖かったのだろう。

恐縮した伊周を迎えた道長はどうしたかといえば、噂にはまったく触れることはなかったと『大鏡』では、記述されている。

道長は素知らぬ顔で、御岳詣での土産話などをしていると、「いたく臆し給へる御気色のしるき」とあるように、伊周があまりにおどおどしている。道長は「をかしくも、またさすがにいとほしくもおぼされて」と、そんな伊周を何だか気の毒にさえ感じたようだ。

双六でも負かされてスキャンダル事件を起こす

そこで道長は、不意に双六盤を持ち出した。双六は平安時代に人気があったゲームで、双六盤のほか、白コマと黒コマを15ずつ、そして振り筒、サイコロ2個を用いるものだ。

道長は「久々に双六でもやるか」と誘い、伊周がこれに応じると、競弓のときと同様に圧勝。伊周は、またも打ち負かされて、帰路につくこととなった。

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