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「世界の労働者の叫び」メーデーの意味を問い直す 歴史から振り返るメーデーが持つ意味

東洋経済オンライン / 2024年5月3日 8時0分

しかし戦後の日本は、ある意味解放感にあふれ、メーデーは新しい時代を迎えたともいえる。1946年終戦の翌年の5月1日のメーデーは、新しい時代の期待に満ちあふれていた。中央メーデー会場には40万人が参加したのだという。戦争で被災した社会を反映して、食糧を求めてのメーデーだったともいえる。

血のメーデー事件

宮本百合子は「メーデーに歌う」の中で、5月1日、ラジオから流れるメーデーの歌の指導に感動している。(編集部注:「メーデーに歌う」は青空文庫で全文を読むことができます)

「日本のラジオが、5月1日のメーデーを、こうして皆の祭りの日として歌の指導まではじめた。これは、ほんとうに、ほんとうに日本の歴史はじまって以来のことである」

「きけ、万国の労働者、とどろきわたるメーデーの」というフレーズをラジオが指導していたというわけである。確かにこのフレーズは、戦後生まれの子供たちでさえ口ずさんでいたほど、有名であったことが思い出される。

しかしこうした状況を一変させたのが、東西冷戦の始まりとアメリカの占領政策であったことは間違いない。そして1952年「血のメーデー事件」が起こる。明治神宮外苑から皇居前広場にかけての行進の中、皇居前で警官隊との衝突が起き、死者を出す惨事となった。

1952年は日本が独立した年だが、その頃から次第にメーデーには大きな変化が生まれる。組合組織の分裂の中で、権利要求の闘争から次第に祝祭的儀式に変わっていくのである。

しかし不思議なことは、戦後もずっとメーデーが国家の祝日となっていないことである。3月8日の国際女性デーもそうだが、祝日にならないのはなぜか。

さらに5月1日という日ですら、2001年4月以降いつの間にか日本労働組合総連合会連合系は、ゴールデンウィークの前の土曜日に変更してしまったのである。

世界を見渡すと、メーデーの日である5月1日が祝日である国が多いことに気づく。当然ながら社会主義国では祝日であったが、資本主義国であるフランスやドイツなどのヨーロッパの国でも、多くは祝日である。

メーデーは祝日とすべきか

日本ではゴールデンウィーク(黄金週間)の狭間の中にあるにもかかわらず、普通の日になっている。確かに連休である以上、家族旅行に出かけたりすれば、この日だけデモ行進に参加することは難しい。

メーデーを続けるには、やはり祝日にするしかない。しかし、連休であればもっと集まらないかもしれない。だったらバカンス休暇をつくって、そちらで休暇をとってもらえばいい。

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