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日銀がこれほどまで円安を「無視」する3つの理由 「為替は管轄外」では、結局うまくいかない?

東洋経済オンライン / 2024年5月4日 9時30分

一方、確かに専門家として与えられた部分的な役割を超えて、日本全体、経済全体について考えることによってひずみが生じるケースもある。典型的な例が、財務省がかつて大蔵省と呼ばれていた当時のことだ。

彼らは、とにかく日本をよくすること、それが自分たちの責任だという使命感に燃えていた。だから、私に言わせれば、省益や天下りなどを行動のインセンティブにすることは皆無だった。縦割り行政などという言葉も無縁だった。権限争いなどそもそもない。

「とにかく自分たちこそが、日本を救えるのだ」という使命感に燃えすぎており、日本全体という大きな話をする際には、全部「自分たちこそが正しい」という考えを持っており、かつそれを「自分たちが実現する義務がある」という責任感に燃えすぎていた。

つまり、狭い専門性に引きこもるというプロの官僚としての弊害はなかった代わりに、「日本の将来は自分たちが仕切るべきだ」というエリートの傲慢性にあふれていたのだ。「財政健全化至上主義に陥っている」などというのはウソで、「将来財政のことを考える人が皆無だから、その役割を果たす使命感があるのは自分たちだけだから、自分たちがなんとかしなければいけない」と思っていただけなのだ。

財政に限らず、すべての日本の問題について痛みを伴う改革の必要性を主張し、ポピュリズムと戦う日本最後の良心を持っているのはいまや自分たちだけだから、世の中のすべてのポピュリズムと戦わなければいけない。だから、すべての政策決定において、自分たちのアンチポピュリズムの主張を通そうとしたのだ。

これが大蔵官僚の欠点であり、傲慢さであった。なぜなら、人々がそれを望んでいるとは限らず、またその意思決定を委託されているわけでもなかったから、エリートを自認する人々の独りよがりにすぎなかったからだ。責任感があるのはよいが、結局、責任も取れないし、責任を取ってほしいと誰にも望まれていないから、出しゃばりすぎなのだ。

いまや大蔵省も財務省となり、このような雰囲気は薄まっているが、いずれにせよ、狭い専門性に逃げ込む欠点と、全体を考えすぎてでしゃばりすぎる傲慢さと、トレードオフ的な組織の欠点が存在することも事実だ。

では、どうしたらよいのか。

あまりにつまらない結論だが、現実的に、その中間でバランスを取るしかない。そして、すべての組織、すべての個々人がその立場になり、自分の専門性、個々の役割をまっとうしながら全体のことも考え、自分の領域に励みながら、それが全体に悪影響を及ぼさないか、全体の役に立っているか、つねに考えながら行動する。そういう当たり前のことを全員がやるしかない。

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