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「大学無償化」への批判が的を射ていない真実 お金だけでは得られない豊かさに目を向ける

東洋経済オンライン / 2024年5月8日 15時0分

権力からの精神的自律をなしとげる、すなわち、事実を見つけだし、権力と批判的に向きあうためにも、大学教育はベーシックサービスのひとつだと考えるべきです。

大学はそれぞれの理念にしたがって、精神的な自律を可能とする教育サービスを提供せねばなりません。国であれ、政府から独立した機関であれ、その目的を達成できるよう、教育の質をコントロールすべきです。それができていない大学は設置を取り消すことだってありえるべきです。

ですから、精神的自律をたもつ、という本来の目的が達せられているのならば、そのなかの偏差値の差は、本質的な差とは言えないのです。

なぜそんなに偏差値が大事なの?

偏差値なんて大した問題じゃない──僕はそう言いきりましたが、以上の理屈はイマイチみなさんに響かない気がします。「そんなのただのキレイごとでしょ」というつぶやきが聞こえてくるようです。

じゃあ、視点を変えてみましょう。そもそも、なぜ、偏差値の高さがそこまでみなさんの関心をひくのでしょうか。答えは単純です。それは、いい大学にいき、いい会社に入らなければ、おだやかな暮らしを手に入れられないからです。

多くの子どもたちが東京を中心とした大都市に移り住む理由は、都会への憧れもあるでしょうが、偏差値の高い大学が都市に集中していることが大きいですよね。

ベーシックサービスがめざすのは、こうした社会の価値観を変えることです。

いまの日本では、世帯収入300万円で生きるのは大変です。この年収で何人かの子どもを産み、育て、大学に行かせようと考えるのは、かなりハードルが高いでしょう。

でも、大学の学費がいらなくなり、老後も病院や介護の心配がない社会になったとしたらどうでしょう。

私の収入が150万円、パートナーの収入が150万円、それだけあれば、ぜいたくはできなくても安心して生きていけます。生まれ育った故郷で生きる自由を手にできます。少子化や東京一極集中などの問題もグッとやわらぐでしょう。

みなさんは自分の子どもを大富豪にしたくて勉強をさせていますか? そうではなくて、人並みか、できればちょっといい暮らしを楽しんでほしい、そんなささやかな願いから子どもたちを受験戦争にうながしているのではありませんか?

もしそうなら、子どもたちに《生きかたの選択肢》を与えるべきです。

もちろん、偏差値の高い学校をめざし、大都会に出て、先端的な学びの機会にふれることはすばらしいことです。それを妨げる理由などどこにもありません。

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