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「レコード大賞歌手」の彼女が選んだ意外なその後 1曲1000円で歌う、ゴールデン街の「流し」の生き様

東洋経済オンライン / 2024年5月9日 12時0分

さらに翌年以降、ほかのミュージシャンを打ち出す事務所の方針もあり、Be-Bさんのスケジュールには白紙が増えるように。本来やりたかったハードロックとの乖離もあって、現状に違和感を覚えるようになった。

「がむしゃらに頑張っていたけど、なんか違うなーみたいな。だって人前で歌う仕事はほとんどなくて、ラジオ番組で喋ったり、雑誌のインタビューで何回も同じこと言ったり。私は芸能人じゃなくて歌手になりたかったけど、そのときにいた環境では難しいんだって気づきました」

また、当時はCD全盛の時代。100万枚や200万枚が売れることも珍しくなかったが、Be-Bさんいわく「誰が歌っても変わらない曲」「売れそうな曲」がシステマチックに次々とリリースされていた。楽曲も歌詞もミュージシャンも、いわば使い捨て。そんな環境で活動をするうちに、ストレスで体調を壊し、事務所からの退所と活動休止を余儀なくされた。1999年のことである。

音楽から離れて平穏な暮らしを送るなか、知り合った男性と結婚。出産もして幸せに暮らしていたが、音楽をしたい気持ちが再燃し始める。夫に相談すると、「趣味だったらいいよ」と言われたが、もう一回本気で取り組みたかったBe-Bさんは譲らなかった。

「じゃあ別れて、みたいな。それでバツイチになるわけです。親権も取られちゃって……あ、大丈夫ですよ、今となっては笑い話ですから」

横浜の飲み屋街で初めての流し

約3年間のブランクを経て、Be-Bさんが活動再開の場に選んだのは路上だった。バンドではなく弾き語りで、いわゆるストリートミュージシャンである。

事務所の後ろ盾もなく、一人で道を切り拓くしかなかったため、アマチュアがするような活動にあえて身を投じたのだった。過去の栄光をひけらかすことはせず、とにかく自分の歌を聞いてほしいという思いで、大好きなハードロックをひたすら歌い続けた。まさに初心に戻っての再出発だった。

新橋駅の駅前で弾き語りをしていると、喜んでくれる人や、多めにチップをくれる人もいた。一方で「うるせえ!」と怒鳴られたり、「ギターの弾き方がなってない」と絡まれたりもした。良い日も悪い日もあったが、本当にしたい音楽をしたいやり方で表現できることに、これまでにない楽しさを感じていた。

初めて流しをしたのは2016年。横浜の飲み屋街でバーを経営する知人に誘われたのがきっかけだった。その知人は洋楽好きで、Be-Bさんが歌うハードロックに大喜びだったが、近隣の店にも寄ってみたところ、反応はさまざまだった。

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