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京産大から初「国家一種合格」浪人重ねた彼の覚悟 母校初の快挙を成し遂げた彼の驚きの人生

東洋経済オンライン / 2024年5月12日 11時40分

「高校受験に関しては、そこまでの不安はなかったです。当時、兵庫の高校受験は『15の春は泣かせない』(高校全入運動とともに広がった言葉)があって、公立高校の受験は内申書で8~9割決まっていたので。内申点もよかった私は、学費が安くて家から近い県立芦屋高等学校を受験し、合格しました」

現役で大学に入り、ふつうに大学生活を送る

芦屋高等学校に入学したKenjiさんは、すぐに西宮にあったYMCA予備校に通い始めます。塾と高校の両立が難しくなって、高校2年生でやめたものの、その後は進研ゼミで赤ペンで先生に解答を添削してもらいながら、受験対策をしていました。

「周囲が大学に進む高校だったので、大学に行こうと思って受験勉強はしました。ただ、この時点では浪人してでも、大学に行こうとまでは思っていませんでした」

高校入学後のKenjiさんは、途中で高校数学についていけなくなります。1年生の最初に受けた試験では195/450人と上位でしたが、卒業するときは300番より後ろくらいになり、学力を伸ばすことには苦戦したようでした。

「高校3年生からの進路選択では、文系クラスに入って私立大学を目指しました。ですが、模試を受けてみて、関関同立(関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学)には届かなさそうだと思いました。そこで産近甲龍(京都産業大学・近畿大学・甲南大学・龍谷大学)への進学を考え、近大と京産大を受験してどちらも合格をいただきました」

京都産業大学の経済学部に進学し、「ふつうに大学生活を送った」と語るKenjiさんは、簿記の教室にお金を払って通うなど、大学で学問に打ち込んだこともあり、難関の筆記試験を突破して、地域別採用のあった大手通信会社に就職します。

ストレートで大学に進学し、ストレートで卒業して大手企業に勤務。何も浪人と関係のない人生を送ってきたKenjiさんですが、ここで彼は22歳にして初めて、“浪人生活”を始める決意をします。その理由は「今のままではリストラの対象になると思ったから」と答えてくれました。

リストラの対象に怯え、公務員試験受験を決意

「私が入った会社は、運転免許が必須でした。そのため、会社がお金を出して、教習所に通わせてくれたのです。でも、私はどんくさい人間なのでぶつけたり、脱輪したり、のろのろ運転しかできなかったりして……。なんとか免許は取れたのですが、会社の中で『こいつに運転させたらダメだ』という空気になったのです。私の会社はコネで入ってる人がいっぱいいたので、コネもないし、運転もできない私は、リストラ候補になる可能性が高いと思い、危機感を抱きました」

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