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「東大」の地位を脅かす「幻の移転案」その顛末 戦前の「東大一極集中」は東京にあったから?

東洋経済オンライン / 2024年5月22日 15時0分

1923年に発生した関東大震災では、東大にも大きな被害があった。工学部や医学部の実験室などから出た火が燃え移り、震害を含めて本郷キャンパスの建物の3分の1が失われたという。

震災直後、東大は研究・教育機関として当面立ちなおれないのではないか、という見方が広がった。

とりあえず学生をほかの帝大に転学させるアイディアも浮上し、九州大では東大工学部の学生を引き取る案が協議された。

東大当局も乗り気で、転学希望者について、東大に在籍したまま京大や東北大で勉学を続けられるよう便宜を図る決定を下した。

ところが、転学希望者はほとんどいなかったようである。『東京朝日新聞』は、「焼けても恋しい 東京の帝大 地方の大学へ転校者尠(すくな)し」という記事を掲載し、転学希望がごく少数にとどまったことを報じている。

75万冊の図書館蔵書が燃え、実験設備が焼けてもなお学生は東京、東大にいることを選んだということだろう。三木が東大一極集中の背後に見た東京の魅力の強さの一例といえる。

東大側もこの点には自覚的だった。関東大震災の後、この際東大を郊外に移転させる案が浮上したが、学内からの強い反対もあり、頓挫した。

文学部教授の松本亦太郎によれば、東大の指導的役割は東京都心に位置することによって維持されている、というのが大きな反対理由である。

「伯林(ベルリン)に伯林大学の光があり、巴里(パリ)にソルボーン(ソルボンヌ)の光が輝く如く、東京に東京帝国大学の光が無ければならない」と移転反対者はいう。

なにより、東大が郊外に去った隙をついて私学が躍進する懸念があった。裏を返せば、東大に打撃を与えようと思うならば、まず東京都心から引き離すのが有力策になりうる、ということでもある。

田中角栄の"東大移転論"

東大の地位を脅かしかねない都心からの移転案は、高度経済成長期にも浮上した。

戦後の東大移転案というと、70年代後半に登場した米軍立川基地跡地への理系学部などの移転案(頓挫)が知られるが、それ以前に田中角栄が主唱していたことは意外に忘れられた事実である。

池田勇人内閣で大蔵大臣を務めていた田中は、1964年の参議院大蔵委員会で、「東京や大阪にある大学」を「理想的な環境」に移転させるアイディアを語った。

「大蔵省の諸君は大体東大の出身者ですから、自分たちの学校を移そうなんていう気にならぬ」ので田中が独自試算し、東大移転に最低600億円、世界的な大学にするためには1000億円かかるとの見方を示した。この年設置される国立学校特別会計を推進する理由の中で述べられたものである。

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