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お家芸がお荷物に「液晶のシャープ」衰退の真因 国内でのテレビ向け液晶パネル生産ついに撤退

東洋経済オンライン / 2024年5月22日 11時0分

かつてシャープは、国内テレビ市場で松下電器産業(現パナソニック)、ソニーに続く東芝と「万年3位」の座を競い合ってきた。同社はブラウン管を持っていなかったため、販売したいときに増産できず商機を逃してきた苦い経験から、キーデバイス(基幹部品)の強化に取り組んできた。その結果生まれたのが液晶だった。最終的な目標は、テレビのキーデバイスとして液晶を使い、ブラウン管テレビ時代の雪辱を果たすことだった。

社長に就任して2カ月後の1998年8月、町田氏自らが「シャープは2005年までに、国内で販売するカラーテレビをすべてブラウン管から液晶に置き換える」と宣言し、有言実行となった。テレビがブラウン管から液晶やプラズマなどのフラット・ディスプレイに移りつつある中で、液晶テレビ(国内市場)で断トツ1位に躍り出たのだ。

町田氏は生産の国内回帰を実現した。大画面テレビ用液晶パネルを増産するため、亀山第1工場(三重県亀山市)に加えて、2006年10月に亀山第2工場も稼働した。

その背景には海外事業部長時代の苦い経験があった。プラザ合意(1985年)以降、急激な円高に直面し、日本メーカーは生産拠点を相次いで東南アジアへ移した。その結果、努力しなくても低コストで生産できるようになり、町田氏によれば「その後10年間、(シャープの)生産技術は進化しなかった」と言う。

「液晶テレビの大成功」という果実を手にし、同事業はまだまだいける、いや、まだまだ拡大していかないといけない、と判断したのだろう。そして、町田氏の後継者となり路線を継承した片山幹雄氏は、さらに発展拡大しようとした。社長就任から3カ月後の2007年7月末、片山氏は堺工場の建設を発表した。「蓄積」というシャープの遺伝子からして順当な戦略的意思決定であるように見られた。

蓄積を重んじる企業文化ゆえの結果?

予見力の重要性を強調していた町田氏が、なぜ、新規事業育成という点で、それを十分発揮できなかったのか。皮肉な論理に聞こえるかもしれないが、蓄積を重んじ、先輩(創業者や前社長)を尊重する企業文化ゆえ、液晶に集中し過ぎ、その結果、「液晶一本足打法」と揶揄されるようになったのだろう。

次の言葉を忘れていたのではないか。

「いたずらに規模のみを追わず、誠意と独自の技術をもって、広く世界の文化と福祉の向上に貢献する」

2代目社長の佐伯旭(あきら)氏が、創業者の早川徳次氏の精神をくんで、1973年に定めた経営理念の一節である。この文言に反し、近年、シャープはいたずらに規模を追ってしまった。だが、それよりも問題だったのは、液晶という既存の主力事業ばかりに目が行き、「誠意と独自の技術をもって」新規事業をタイムリーに創出できず、端境期をつくってしまったことである。

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