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「ひとり死の先輩」を看取って考えたシングル社会 最後の言葉は「自宅でこのまま死なせてほしい」

東洋経済オンライン / 2024年5月27日 10時0分

そうとはいえ、見るに見かね、10月に入ってすぐ、Kさんの了解は事前に得ずに、区の地域包括支援センターに相談した。身寄りがないとのことだったので、支援員の方に要介護認定の手続きをお願いしながら、何とかKさんを説得して、入院・治療を受けてもらう、それがだめならKさんの意識がなくなったら救急車で病院へという私の算段だった。

だが、支援員の方に入ってもらってから1週間ほどで、冒頭で紹介した「自宅でこのまま死なせてほしい」との言葉を最後に、翌朝、私がKさんの亡骸を発見した。

誰が「巻き込まれる」かわからない時代

結果的に、看取りケアとその後の対応を私が主にしたのだが、身寄りがあれば、こうしたことは家族・親族が中心とした親密圏が担うものである。今後、増加するミドル期シングルが高齢期に突入すれば、私とKさんの事例のように、言葉は悪いが、誰が「巻き込まれる」か、わからない時代となるかもしれない。

現在のいわゆる孤独死の事例では、Kさんと私とは逆の関係、店子が亡くなり大家あるいは不動産屋が「巻き込まれる」ということのほうが圧倒的に多いだろう。

そもそも親密圏とは、家族・親族や地方の地域共同体だけでなく、最近のより広い定義によれば「具体的な他者の生╱生命とくにその不安や困難に対する関心╱配慮を媒体とする、ある程度持続的な関係性を指すもの」(斎藤純一2003『親密圏のポリティクス』ナカニシヤ出版p.213)なので、私とKさんの関係性は、店子と大家という関係以上であって、「生╱生命とくにその不安や困難に対する関心╱配慮を媒体」にしていたといえるし、「ある程度持続的な関係性」であったともいえるので、親密圏といえなくはない。

近年は、こうした親密な関係性を従来の親密圏とは区別して「オルターナティブな親密圏」と呼ぶことがある。

「生命とくにその不安や困難に対する関心╱配慮」を引き受けるのは並大抵のことではないからこそ、その前提として親密な関係が必要だといえる。

だが、私とKさんの事例のように、「親密」という言葉からイメージするよりはずっと弱い関係であっても、身寄りのない大家を失った唯一の店子として、引き受けざるをえなかった。私が単なるお人好しといえばそれまでなのかもしれないが、読者のみなさんも私と同じ状況に置かれたとしたら、私のようにせざるをえないのではないか。

幸いなことに、Kさんが亡くなってから2カ月後に音信不通だったKさんの姪御さんが見つかった。その姪御さんご夫婦にすべてを引き継いで、私がKさん宅から退去したのは、Kさんが亡くなって半年後のことであった。

仕方なく「巻き込み型親密圏」

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