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「ざま見やがれ」強気な建築家・前川國男の驚く偉業 コンペに落ちた若手が「巨匠」と呼ばれるまで

東洋経済オンライン / 2024年5月30日 15時0分

まさにアドルフ・ロースを思わせるようなケンカ腰。この強気な若手建築家こそ、ル・コルビュジェに弟子入りした最初の日本人、前川國男(1905~1986)です。

「日本趣味」に抵抗したモダニスト前川國男

1928年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業した前川は、その日の夜に日本を離れ、シベリア鉄道経由でパリへ渡りました。そこでル・コルビュジェに弟子入りし、2年間、無給で仕事に励みます。

1930年に帰国すると、前川はアントニン・レーモンド(1888~1976)の東京事務所に入りました。チェコ出身のレーモンドは、フランク・ロイド・ライトの弟子。

レーモンドは帝国ホテルが建設されるときに来日し、その後も日本で仕事を続けました。日本の建築家たちに多大な影響を与えたという意味で、「日本近代建築の父」のような存在です。

ル・コルビュジェとレーモンドの薫陶を受けた前川は、「日本のモダニスト第1号」と呼んでもいいでしょう。レーモンド事務所に入った翌年に東京帝室博物館本館のコンペで名を挙げ、1932年に竣工した青森県弘前市の「木村産業研究所」の設計でデビューしました。

それから3年後には独立して、自らの設計事務所を銀座に開設します。独立後の初仕事は、小さなバラックビルを改造した「森永キャンデーストア銀座売店」でした。

日本の建築界を牽引する存在へと成長

前川の代表的なモダニズム作品を味わうなら、東京の上野公園に行くとよいかもしれません。そこにある東京文化会館(1961年)と東京都美術館(1975年)は、いずれも彼が手がけたものです。

問題のコンペで前川が落選した東京国立博物館も、同じ公園内に建っています。その堂々たる帝冠様式と前川のモダニズム建築を見比べて歩くだけで、「昭和の日本建築史」の大きな流れが実感できるのではないでしょうか。

さらに上野公園には、前川の師匠ル・コルビュジェが設計した国立西洋美術館(1959年)もあります。その建設には、前川も協力しました。前川は、ル・コルビュジェやレーモンドから学んだモダニズム建築の理念をそのまま実行したわけではありません。

ヨーロッパと日本では気候や風土が異なるので、まったく同じようにやろうとすると不都合が生じます。そのため前川は、日本の気候・風土に合うモダニズム建築を模索しました。

たとえば、モダニズム建築でよく使われるコンクリートの打ちっ放し。これを日本でやろうとすると、昔の技術では、凍結してヒビが入ってしまったり、中から破裂したりするおそれがありました。

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