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鉄道員にオヤジと呼ばれたSL「キューロク」の記憶 大正生まれ9600形、国鉄最後の現役蒸気機関車

東洋経済オンライン / 2024年6月8日 6時30分

北海道に配置されたキューロクは主に亜幹線やローカル線で運用された。名寄本線(廃止)では、北見山地を越える天北峠に重連で果敢に挑んだ。筆者が最も印象に残っているのは、倶知安機関区に所属していた「二つ目キューロク」だ。

これは一般的には1つだけの前照灯を左右に2つ備えたもので、霧が多発する胆振線(廃止)用の機関車だった。その二つ目キューロクが小沢から倶知安峠を越えるD51形貨物列車の前補機を務め峠越えをするのだが、D51形+キューロクという猛者の重連による発車シーンが迫力満点だったことが強く記憶に残っている。

宗谷本線では、日本最北のSLとして名寄―稚内間で貨物列車を牽いていた。

夕張の炭鉱地帯ではD51形が活躍していたが、キューロクの牽引力に着目した炭鉱会社の鉄道が同型機を独自に導入して石炭輸送に使用していた。三菱鉱業大夕張鉄道(廃止)では従業員や沿線住民も輸送しており、冬季には客車内の石炭ストーブで暖をとっていた。

北海道のキューロクは前述の通り1976年、追分地区で「日本最後の営業SL」となった。

筑豊炭田の輸送を支えたキューロク

北九州地区の筑豊炭田でもキューロクの貨物機としてのパワーが重宝され、石炭輸送列車の牽引を担った。この地域で最もキューロクが活躍した路線が田川線(現・平成筑豊鉄道田川線)で、ここでは北九州地区で集炭した石炭貨車と、石灰岩採集の香春岳からの石灰輸送という「黒と白」の鉱石を行橋港まで搬送していた。

その貨車の重さは半端なものではなく、さすがのキューロクも単機での牽引では無理で「油須原越え」と呼ばれる急勾配では貨物列車の前後に1台ずつ連結した後押し重連や、時として3重連のキューロクが走り、豪快な活躍でSLファンには知られた路線だった。

だが、エネルギー転換による北九州の炭鉱衰退とともにキューロクも次々に姿を消した。現在は田川市石炭・歴史博物館がある公園内に、当時の姿そのままに静態保存されている。また、豊肥本線では立野―赤水間の有名な阿蘇外輪山を越える「立野スイッチバック」を単機で力闘しながら阿蘇のカルデラへと向かって走る姿が知られていた。

当時、本州では活躍の場は比較的限られていたが、最も知られたのが米坂線での力闘だった。同線の手ノ子―羽前沼沢間には難所の「宇津峠」が立ちはだかる。キューロクはこの急勾配を、牽引定数ギリギリの貨物列車を牽いて立ち向かっていた。

筆者はこの峠越えの姿に魅せられ、1970年から毎年米坂線を訪れていた。

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