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「V字回復企業」と低迷企業、トップの決定的差 日本企業に「強いリーダー」がいない根本理由

東洋経済オンライン / 2024年6月18日 11時0分

ジャーナリストの佐々木俊尚氏は任天堂の組織・マネジメントにこそ学ぶべきことがあると語る(写真:akeuchi masato/PIXTA)

2000年代初頭低迷した任天堂はいかにして起死回生を遂げることができたのか。復活の要因をゲームやクリエイターにスポットライトを当てて考察するものは多いが、任天堂の組織・マネジメントにこそ学ぶべきことがあるとジャーナリストの佐々木俊尚氏は語る。

『崖っぷちだったアメリカ任天堂を復活させた男』の著者レジー・フィサメィ氏が持ち込んだ「アメリカ式経営」のある要素が任天堂の飛躍の背景にあるのではと佐々木氏は指摘します。「日本発・プラットフォームビジネス」という観点から任天堂の強さの秘密に迫った前編に続き、本書の読みどころを聞いた。

誰が管理職になるべきか

本書はマーケターとしてキャリアを積みアメリカ任天堂の社長兼COOとなった著者による書ですから、純粋にゲームの話を読みたい人には、ひょっとしたら物足りないかもしれません。ただ、低迷していた任天堂がいかに起死回生を遂げたのかという会社経営、組織のありようの実録は、それはそれで非常に興味深く、学ぶべきことの宝庫だと思います。

【写真】ハイチ移民の子として生まれたアメリカ任天堂の元社長兼COOのレジー・フィサメィが35年のキャリアで学んだ教訓と哲学とは?

特にここで取り上げたいのは、社内の横のコミュニケーションを活性化したという話です。著者のレジー・フィサメィ氏はアメリカ任天堂に入社した直後から、財務、IT、事業、特許、オペレーション製品開発などあらゆる部署のリーダーと直に会って話をしたといいます。そして、それまでは厳然として存在していた部署間の壁を壊し、「チームワークのカルチャー」を構築しました。

部署間のコミュニケーション不全は、あらゆる企業で生じうる課題です。本書の中でも指摘されていることですが、たとえば「ものを作る人たち」と「ものを売る人たち」とで自由闊達に議論できる企業風土がないために、的はずれなマーケティングを打ってしまう。同様の課題は、業種を問わずあらゆる企業で起こり得ます。

昭和のころは、他部署の人と喫煙室で一緒になったり、仕事の後に飲みに行ったりする機会が多く、横のつながりが盛んでした。たとえば反目していた製品開発部と営業部が酒席で初めて気脈を通じ、以来、強い協力関係が築かれたといったエピソードは至るところにあったはずです。

ところが、バブル崩壊後の平成の時代ではコスト削減が推奨されるようになり、経費と一緒に人間関係も削られていきました。みな懐にも心にも余裕がなく、おまけに残業続きで、仕事の後に飲みに行く時間も元気もありません。朝、出社し、ひたすら自分の仕事をこなしたら、家に帰ってバタンと寝る。2000年代に入ってからこの傾向は強くなりました。

これには、効率化が図られたことで個々のタスクが明確になり、無駄・無用の仕事をしなくてもよくなったというメリットがありました。その反面、個人と個人が分断され、「困ったときはお互い様」「互いの弱点をカバーし合う」など血の通った社内の人間関係が失われるという事態が生じたのも事実です。

管理職の在り方も、昭和のころは比較的鷹揚で個人の裁量に任せるタイプが多かったものが、「鷹揚では業績が上がらない」とばかりに個々にノルマを課して尻を叩くタイプが増えた。かくして仕事は「チームワーク」から「個人の戦い」へと様相が変わったのが平成という時代でした。

しかし、それも今では見直され始めています。特によく耳にするのが「管理職の仕事」の変化です。個々にノルマを課して尻を叩くというマネジメントは今や効力を失っている。その代わりに、チーム内のコミュニケーションを盛んにし、メンバー同士の間を取り持つことで全員のやる気を高めるといった管理・調整役が管理職の主な仕事になってきているようです。

そうなると、必ずしも「仕事で実績を出した人」が優れた管理職になれるとは限りません。セールス・マーケティング部で実績を挙げた人を管理職に据えたところ、マネージャーの適性がないことが判明した。コーチをつけてトレーニングを試みるも、結局は会社を去ってしまった。これは本書で紹介されているエピソードです。昔から野球の世界には「名選手は名監督に非ず」という言葉がありますが、仕事も同様、プレイヤーとしての実務能力と、マネージャーとしての管理・調整能力はまったく別の能力なのです。

日本企業、失敗の本質は機動力の欠如

かつて日本では、管理職といえば叩き上げで出世していった先に準備されているポストでした。しかしプレイヤーとしての実務能力とマネージャーとしての調整能力が違うとなれば、マネージャーという仕事を「プレイヤーの延長線上にあるもの」として考えるのではなく、プレイヤーとは別個に「マネージャーという専門職」があると考えたほうが妥当でしょう。調整能力に長けている人は、たとえ専門職のスキルが高くなくても、立派に管理職を務めることができるというわけです。

今や、みな一様に出世を目指し、一部の人たちが課長に、さらに一部の人たちが部長になるという昭和のころのピラミッド構造は崩れつつあります。同期でも管理職となって管理・調整能力を発揮する人と、ずっと現場で実務能力を発揮し続ける人とにキャリアパスが分かれるケースも増えてきているようです。

ただし組織のトップに立つ人ともなると、より複合的な能力が求められます。まず、ビジョンがあること。しかしビジョンさえあればいいわけではなく、その上に管理・調整能力や実務能力も兼ね備えていなくては、リーダーシップを発揮し、機動力高く組織を運営していくことは難しいでしょう。

アメリカのすべてを賛美するわけではありませんが、アメリカ企業にあって日本企業に欠けがちなものは機動力です。昔に比べれば変わってきているとはいえ、日本企業はまだまだ「和を以て貴しとなす」的なマインドが根強い。そのために、トップが大胆で素早い経営決断を下すようなリーダーシップを発揮していないという難点があります。

もちろん、なかには大胆な方針転換をしたことで成功した例もあります。写真のフィルムから化粧品や医療機器に方針転換した富士フイルム、家電からBtoBのインフラ事業へと方針転換した日立などは、その代表格と言えます。

ただ、これらは数少ない成功例に過ぎません。全体として見ると、やはり機動力の欠如はいまだに日本企業の通弊であり、それがこの30年、日本の産業界が衰退してきた一大要因であることは間違いないでしょう。

翻って任天堂ですが、本書を読んでいると、フィサメィ氏が本社の役員たちと対立し、説得する場面がたびたび出てきます。フィサメィ氏は、おそらく本社からするとかなり異質な支社長だったと思われますが、その彼をアメリカ任天堂のトップに据えたことで、任天堂本社にも変化があったことは想像に難くありません。

本書には書かれていませんが、従来の日本式経営に、フィサメィ氏を通じてアメリカ式経営が流れ込んできたことで、組織の機動力が上がった。それもまた、この20年の任天堂の飛躍の背景にあると考えられるのです。

日本企業に求められる「アメリカ的経営者」

国際競争を勝ち抜くには機動力が必要不可欠である。これは、日本企業が「失われた30年」で得てきた手痛い教訓でしょう。まだまだ実態としては追いついていないところがあるとはいえ、問題意識はだいぶ共有されてきていると思います。

日本企業は従来、ボトムアップ型ですが、機動力を高くするには、ある程度、トップダウン型の組織にしていく必要があります。トップが決断を下し、強いリーダーシップをもって下を従わせるくらいでないと、時代背景や消費者ニーズの変化に素早く対応していけません。いかに機動力の高い組織を作っていくかという点では、おそらく、こうしたリーダーシップの欠如が日本企業の最大の課題です。

ちなみに10年ほど前にOECDが行ったリサーチでは、中卒の日本人の国語力と数学力は、大卒のイタリア人・スペイン人よりも高いという結果が出ており、一般的な労働者の質は日本が一番高いとされています。たしかに基礎学力がある上に真面目で律儀で一生懸命、コロナ禍でリモートワークになったときも、日本の労働者の多くは、サボらずにちゃんと仕事をしました。

ところが、これほど勤勉な人たちが、出世してマネジメント側になった途端に「昼行灯」のごとく存在感を失ってしまう。日本の風土として「出る杭は打たれる」ことも否めません。みな口では「リーダーシップが必要だ」と言うのに、いざ誰かが少しでもリーダーシップを発揮しようとすると、こぞって足を引っ張るところがある。政治の世界でもビジネスの世界でもそうです。“日本のマーク・ザッカーバーグ”や“日本のビル・ゲイツ”が誕生しないのは、このように、強い意志を持った人がリーダーシップを発揮できる土壌に乏しいからでしょう。

本書を読んで、低迷している組織を再生させるリーダーの姿についても深く考えさせられました。

アメリカ任天堂社長に学ぶべきリーダー像

本書の最後のほうで、フィサメィ氏は「信念を貫くことの大切さ」を説いています。全体を通じて「この上司の下で働くのは大変そうだな」という印象を抱いてしまいますが、それも信念を貫くというフィサメィ氏の思いの強さゆえでしょう。

また「自分の身に起こることは、すべて自分の責任である」というフィサメィ氏の考え方からは、いかにも新自由主義的な自己責任論を感じますが、これは「失敗した終わり」ではなく、状況に応じて新しいプランを考えて再チャレンジする柔軟性、さらには「これ」と決めたことを続ける持久力とセットになっています。

こうしたリーダー像はフィサメィ氏のみならず、実績を出しているアメリカ企業のトップに共通しているものでしょう。だからこそ突破力があり、新しいビジネスを推し進めることができる。失敗しても諦めずに再チャレンジできる。

何でもアメリカに染まる必要はありませんが、フィサメィ氏の語りからうかがわれるアメリカ的経営――機動力、トップが信念を貫く強さ、柔軟性、持続性は、日本企業にも必要でしょうか。

(構成:福島結実子)

佐々木 俊尚:作家・ジャーナリスト

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