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定子の面子崩す「道長の策略」まさかの人物の憤慨 道長と近しい人も、数々の行いに苦言を呈した

東洋経済オンライン / 2024年6月30日 12時30分

もっとも一条天皇は大河ドラマのように、定子だけを愛したわけではなく、ほかの女御たちも大切にしたとされている。それでも、懐妊の状況から考えると、定子をことさら寵愛したのは間違いなさそうである。

うるさ型だった藤原実資

一条天皇からすれば、自分の行動の何が問題なのか。よくわかっていなかったのかもしれない。だが、道長としては、宮中の規律が乱れて天皇の権威が失墜し、自身の政権運営に支障をきたすと考えたのだろう。

大河ドラマ『光る君へ』では、一条天皇が定子を呼び寄せようとすると、行成が「実資殿などは反対するでしょうが……」と心配し、道長がこう返答する場面があった。

「実資殿の言葉には力がある。皆が平然と帝を批判するようになれば政はやりにくくなる」

左大臣という地位にある道長が、参議の藤原実資を恐れるのはなんだかおかしいが、確かになかなか気骨のある人物だったようだ。

実際に、出家した定子が宮中に戻って来たことについて、実資は「天下、甘心せず(天下は感心しなかった)」「太(はなは)だ稀有なことなり(とても珍しいことである)」と日記に記し、不快感をあらわにしている。おそらく、そんな本音を隠すことなく、態度にも出す人物だったのだろう。

道長としても、一条天皇の暴走を止めらなかったとして、自身の求心力が失われていくのは避けたいところ。なんとか中宮の定子に対抗すべく打った手は、自身の娘・彰子の入内であった。

ただ、前述したように、一条天皇には定子以外にも女御がおり、道長からすれば、娘・彰子のライバルとなる存在は、定子だけではなかった。

さらにいえば、道長にとって、兄の道隆の娘である定子は姪にあたり、姉の詮子の息子である一条天皇は甥にあたる。もし、娘の彰子が一条天皇の子をみごもらなかった場合は、定子との間に生まれた敦康に天皇になってもらったほうが、ほかの女御との間に生まれた子が天皇になるよりも、はるかにマシである。

そのため、道長は「娘の彰子が一条天皇との間に子を成す」というAプランの実現を目指しながら、かなわなかった場合のBプランを考えて、一条天皇と定子との間に生まれた敦康を後見人として支えている。

前代未聞の行啓となったワケ

何かとうるさい実資からすれば、Aプランのほうを支持しそうなものである。なにしろ、一条天皇と定子の関係をあれだけ疑問視していたのだ。道長の娘・彰子が懐妊して、その子がゆくゆくは天皇となれば、宮中の秩序は保たれる。

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