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祭見物で再会した「年甲斐のない女」の期待と傷心 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・葵③

東洋経済オンライン / 2024年7月7日 17時0分

と送った。

光君が、どこかの女君と車に乗って簾さえも上げないのを、妬ましく思う女たちも多かった。先日の、御禊の日が立派な正装だったのにたいし、今日はすっかりくつろいだ恰好(かっこう)で車に乗っている光君を見て、同乗しているのはどんなすばらしいお方なのかと女たちは噂し合った。典侍とのやりとりを、「張り合いのないかざし問答だな」と光君はもの足りなく思うけれども、この典侍ほどあつかましくない女性ならば、光君と同乗している女君に気が引けて、その場限りの返歌でも気やすくはできないはず。

寝ても覚めても思い悩んでいる

六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)は、以前にも増して思い煩い、苦しむことが多くなっていた。光君にはもう愛されまいとすっかりあきらめてはいるものの、このまま光君から離れて伊勢に下るのも心細く、また、世間の噂でも笑いぐさになるに違いないと悩んでいる。では京に留まるかと考えてみるが、このあいだの車争いのように、これ以上の恥はないほど人々に見下されながら京にいるのも心穏やかではない。まさに、「伊勢の海に釣(つり)する海士(あま)のうけなれや心一つを定めかねつる(古今集/まるで伊勢の海で釣をする海士の浮きのように、心はさだまらず揺らいでいる)」とうたわれる通り、寝ても覚めても思い悩んでいるせいか、自分でも正気が失せたような気持ちがするようになり、次第に病人のようになってしまった。光君は、御息所の伊勢下りについて、そんなことはとんでもないと反対することもなく、

「私のようなつまらない者と逢(あ)うのも嫌になって、お見捨てになるのももっともです。けれど今はやはり、こんな私ですが、浅からぬお気持ちでずっと先までおつきあいしていただきたいと願っています」などと言ってくるので、ひとつに定めかねる心も少しは楽になるかと出かけたあの日に、車争いの一件があり、御息所はもう何もかも嫌になってしまったのだった。

次の話を読む:7月14日14時配信予定

*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです

角田 光代:小説家

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