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「親の希望で国公立受験」4浪日大進学の彼の挫折 浪人中にデパートでバイトし心変わりする

東洋経済オンライン / 2024年7月21日 8時30分

私立高校は日本大学鶴ヶ丘高等学校、明治学院高等学校を受験したものの、不合格・補欠合格と望んだ結果は得られませんでした。そのため、滑り止めだった都立の中堅校に進むことを決意します。しかし、進学校とはいえなかったこの学校に進学することに、野洲さんはショックを受けました。

「明治学院は補欠合格が繰り上がったのですが、(進学した)都立高校の手続きをした後だったので行くことができなかったのです。進学校に行きたかったので、ショックでした。進学先は偏差値が50を切っている学校だったので、人生で初めて訪れた挫折でした」

思いもしなかった都立高校に進んだ野洲さんでしたが、その生活は決して悪いものではなかったそうです。

「今までつきあったことがないような友達ができましたね。それまで仲よかったのはおとなしい子ばかりだったのですが、高校に入るとさわがしい友達とつるむようになりました。それまで運動部に入ったことがなかったのですが、水泳部に入ってみたのもよかったと思います。先輩たちにしごかれながら、飛び込みを覚えたり、クロールや背泳ぎをしていました」

思いもしない方向に転がった人生も、楽しめていた野洲さん。成績は、高校に入ってから急に上位に上がり、その成績をキープすることを頑張ったそうです。

「高校受験で失敗して悔しい思いをしたので、周囲を見返したいなと思い、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)を目指しました。1学年に400人ちょっといた学校なのですが、最初から30位くらいに入れたのでキープするために頑張りましたね。物理や化学の成績はよくなかったのですが、最終的な評定平均値は3.9ほどありました」

父親のために国公立の対策をする

最高学年になった野洲さんは、MARCHに入るため、3教科の勉強に集中したかったそうですが、「父親のために仕方なく」国公立を受けるための対策をしました。

「父親は国公立志向が強くて、早慶よりも地方国立のほうがレベルが高いと考えていた人間でした。そのため英語・国語・日本史に加えて、文系数学を勉強して、国公立に向けた勉強をしていましたね。

この当時は大学への進学者が4分の1しかいない高校だったので、2年までは全教科が必修で、受験に特化した対策ができなかったのもつらかったです。参考書を買って勉強したり、駿台予備学校の季節講習に行くことで、なんとか対策していました」

こうして努力を続ける一方で、野洲さんの駿台模試の偏差値は40台でした。父親の願いをかなえるために受けた横浜市立大学と、明治大学など合わせて4校を受けたそうですが、結局この年は全落ちで終わってしまいます。

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