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「親の希望で国公立受験」4浪日大進学の彼の挫折 浪人中にデパートでバイトし心変わりする

東洋経済オンライン / 2024年7月21日 8時30分

「まったく歯がたたないと感じました。模試の判定も覚えてないくらいの成績でしたし、問題の演習量も足りなさすぎました」

こうして野洲さんは浪人を決断します。決断した理由としては、「今と違って浪人する人が周囲にも多かった」ためでした。

彼は予備校には通わず、河合塾や駿台、代々木ゼミナールなどの各予備校の単科コースを取りながら勉強をする、宅浪(自宅浪人)を選びます。

「進学校に行っていた友達から、当時の予備校では、上のクラスに行かないと優秀な先生に教えてもらえなさそうだと聞きました。そのため、大手予備校に加えて、当時まだ中堅だった東進や、研数学館に行き、いい先生の授業を受けるようにしていました」

各予備校のいい授業の情報を仕入れ、単科コースで「つまみ食い」していたと語る野洲さん。ところが浪人の1年目は、成績の変化はなかったそうです。

「勉強に身が入らなかったんです。予備校に行っても結局、漠然と授業を受けているだけですし、自習室に行っても勉強モードに入らず、結局フラフラ遊びに行っちゃいました。それが結局、知識を使う練習や、絶対的な演習量の不足につながってしまったのです」

1浪目は8時間程度勉強しようと意気込んでいたものの、机に向かっていただけでまったく集中できず、ついついラジオに手が出てしまいました。

「ラジオ講座を聞いて勉強をしているふりをして、ずっと芸能人の番組を聴いていました。特にラインナップが充実している土曜日の深夜は、21時から翌朝の26時までずっとラジオを聴いていました。globe、中島みゆき、サザン、嘉門タツオとハシゴして聴いていた記憶ばかりあります」

こうした生活を続けていたため、偏差値は40台くらいでほぼ現役のときと変わらず、現役と同じように横浜市立大学や、明治、法政、東京理科大を受けて、全滅してしまいました。

「まだ浪人中なんです、と普通に言えた時代でした」と語るように、世の中全体で浪人生に対する寛容な空気感もあったことから、野洲さんはためらいなく2浪も決断します。

ところが、1浪目と同じように単科コースを取ったものの、偏差値は40台から変わらず、遊びに行ったり、ラジオを聞く生活を続けてしまい、全落ちしてしまいました。

「この年も、横浜市立大学や明治を受けていたと思うのですが、受験校を詳しくは覚えていません。受かればどこかに行こうと思っていたのですが、見栄を張ってしまっていたので、結局全滅してしまいました」

デパートでバイトを始めて心情に変化

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