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中年になると否応なく増す「不要な存在感」の功罪 存在しているだけで発生する「うっとうしさ」

東洋経済オンライン / 2024年7月22日 16時30分

若い頃はむしろ好きこのんでむさ苦しい格好をしていた。ボサボサの髪でヨレヨレのシャツを着て、世の中のメインストリームから外れた感じでいるのが居心地がよかった。社会に参加したくなかった。まともな人たちから、どうでもいい取るに足りない存在だと見られていたかった。

そんな自分が、40歳を超えてからは、少しちゃんとした服を着るようになった。といってもそんなに大したことはしていなくて、あまりにもくたびれた服は捨てて、ユニクロやGUや無印良品でシンプルな服を買うようになったとか、1カ月半に1度は髪を切るようになった(それまでは3、4カ月経って髪が伸びすぎて洗うのが面倒になるまで放置していた)とか、それくらいのことに過ぎないのだけど。

別に、お洒落になりたい、と思ったわけではない。中年男性があまりにもほったらかしの見た目をしていると、不審者だと思われて警戒されそうだからだ。

若い男子がボサボサの髪の毛でヨレヨレの服を着ていても、まあこの子は見た目に頓着していないんだな、と思われるだけだろう。

中年以降の男性がだらしない格好をしていると、なぜ危険な雰囲気になってしまうのだろうか。周囲を怯(おび)えさせないためには、ある程度のこざっぱりさを身につける必要があるらしい。 面倒だけど。

年をとると否応なく増す「存在感」

中年になると、ちゃんとした格好をしないと人を警戒させてしまうのは、年をとると存在感というものが否応なく増してしまうからではないだろうか。

若い人間は存在感が薄い。そのせいで軽く扱われたり、無視されたりしてしまいがちでもあるけれど、どんな場所にでもスッと溶け込みやすいというメリットもある。多少変な若い人間がいても、まあ若者だからしかたない、という理由でなんとなくスルーされる。

しかし年をとるにつれて、その人がどういうタイプの人間かということにかかわらず、自然に存在感というものが増してきてしまう。

年上の人間が場にいると、軽く扱いにくい。無視しづらい。いるだけで威圧感を放ってしまう。

権力というもののもっとも些細(ささい)な始まりは、その人がいるとなんとなく無視しづらいという雰囲気だ。年功序列というシステムが根強いのは、年上の人を軽く扱いにくいという人間の自然な感覚を基盤にしているからだ。

権力を持つのが好きな人にとっては、年をとって存在感が増すのは悪くないことなのかもしれない。 だけど自分はずっと、権力を持つことに全く興味がなかった。むしろ、みんなから軽く扱われていたい、と思っていた。そのほうが誰にも期待も邪魔もされず、自分の好きなように動けてラクだからだ。

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