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フワちゃんCM削除「Googleの判断」が妥当な理由 「やす子が許せば問題ない」とは企業は考えない

東洋経済オンライン / 2024年8月9日 20時40分

ところで、そもそも論であるが、企業は株主のものだ。株主が選んだ取締役が経営を担い、その取締役が代表取締役を選定する。取締役は株主の利益を最大化するために働き、それを具現化するために執行役員がいる。

企業が特定の理念で活動するとき、それに反した事業内容が存在すれば、ただちに株主から批判される。

今回、たとえば一流芸能人が人権ポリシーに反した発言をするとする。もしかすると「その程度はいいんじゃないか」という擁護のコメントが出る。

しかし、その発言は世界中を飛び回り、企業の収益を毀損する可能性が高い。そのとき、倫理的というより、単純にビジネスの論理として、発言主のタレントを排除する方向になるだろう。「その程度はいいんじゃないか」という擁護する人は、収益の保証もしてくれないし、株主からの訴訟時にも守ってくれない。

だからけっきょくは企業の判断が尊重されるべきだ。この意味で企業がCMを削除した判断は、いい選択だったと外野は判断するしかない。

また今回の場合、芸能人と企業の契約の観点からはどうだろうか。この一流芸能人とGoogle(Alphabet)がどのような契約だったのかはわからない。ただし通常であれば、当事者のどちらかが社会通念に照らして逸脱した行為が判明した場合には、契約解除や賠償の責任を負うケースがある。

今回、Google(Alphabet)が自主判断でCMを中断し、それが賠償を請求しないケースもある。また、広告を担っていた商品に多大なマイナスイメージを与えたとして賠償を負うケースもあるだろう。すくなくとも、企業は自社のイメージに合致した芸能人を使い、そのイメージに合致しなくなった芸能人を使い続ける資本の理論はない。

まとめると、こうなる。

現在、引き金をひきかねない潜在的な人たちがたくさんいる。そして、全世界的には人権の遵守を第一に考えるグローバル企業が多くある。彼らからすると、広告塔に使う芸能人が人権を遵守するのは当然であり、もそも人の死亡を願う言説は(冗談であっても)ポリシーからもっとも遠い。

もっともビジネス的な意味でも、Googleがもし収益減を被るとして、その損失を補填する覚悟がある人なら一流芸能人を擁護できるだろうが、そうではない人たちはGoogleの決断を認めることくらいだろう。

【その他の画像も】フワちゃんCMを即削除(非公開)としたGoogle。企業行動規範は「Don't Be Evil」で、サプライヤー(供給者)にも厳しいポリシーを課している

それは、精神科にかかる身近な人間をもつ私からしても必然のように思えるのだ。

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坂口 孝則:未来調達研究所

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