カリスマが「命懸けで採集する」"幻の虫"の正体 尾根から尾根へと移動、スズメバチに襲われても追う
東洋経済オンライン / 2024年8月10日 14時0分
たかが虫採りというなかれ。“幻の虫”の採集に命を賭ける男たちがいる。なぜそれほどまでに虫に魅入られ、危険を冒してまで山に入るのか――。
今夏の猛烈な暑さも霞むような“熱き”ハンターたちの冒険を、『オオクワガタに人生を懸けた男たち』より一部抜粋・編集のうえお届けする。
カリスマたちの集団名は「INFINITY∞BLACK」
とんでもない凄腕のクワガタ・ハンターたちがいるらしい――。そんな噂が耳に入ってきた。
【写真】「カッコよすぎ・・・!」“カリスマハンター”たちが命懸けで採集する「幻の虫」
マタギのような脚力で尾根から尾根へと移動し、人も通わぬ山奥に入っていく。人間離れした嗅覚をもち、真夜中でもスルスルと木に登る。熊どころか心霊現象にも怯まない。
ときにはヒマラヤのハニー・ハンターばりに、数十メートルの崖の上にも挑む。滑落して肋骨を折っても、妻に怒られるのが怖くて黙っていたという。
都市伝説みたいな話だが、この男たちは実在する。そして驚いたことに、彼らは苦労の末に見つけた“獲物”を、「採ることが目的ではない」と言うのだ。虫を売ってお金に変える気はさらさらない。
カリスマリーダーが束ねる集団名は「INFINITY∞BLACK(インフィニティーブラック)」。仲間内には掟が存在し、裏切った者は破門となる。なんだか物々しい連中を想像してしまうが、素顔は虫好きなオッサンたちの集まりだ。ただ、彼らは常人には見ることのできない景色を知っている。
メンバーが探し求めるものはただ一つ。昭和の少年が憧れ続けた日本昆虫界のトップスター、オオクワガタだ。
【写真】「カッコよすぎ…!」“カリスマハンター”たちが命懸けで採集する「幻の虫」(10枚)
「え? それってホームセンターに2000円で売っている虫でしょ?」と言うのはやめてくれ。確かに今では飼育で増えて、“王様”も安価になってしまった。
だがここで取り上げるのは、真の天然オオクワガタのことである。昭和の時代、それは“黒いダイヤモンド”と呼ばれ、庶民には手の届かない存在だった。都会では虫好きな少年たちが、高級デパートの伊勢丹に置かれたケースを張り付くように見つめていたという。
当時の値段でも、小さなものが数万円、大きなものは10万円を超えるのが相場だった。筆者のような地方住まいの者には、王様の顔を拝むことさえできなかったのである。
オオクワガタは「一等地」を目指す
なぜオオクワガタは採るのがとんでもなく難しいのか?
その理由は、単に数が少ないからだと思ってきた。確かに希少種であることは間違いないのだが、インフィニティーのメンバーに同行して、それだけではないことがわかった。
メンバーのキクリンこと菊池愛騎は言う。
「オオクワガタはエサを食べるよりも、身を隠すことを優先する虫です。体がすっぽりと潜れるウロや大きな樹皮のめくれがあり、そこから樹液が出ていることが絶対条件になります」
見かけることが多い普通種のクワガタやカブトムシは、樹液が出ていればそこに集まってくる。根元付近から人の目が届く範囲で、樹皮の上にとまっているため簡単に見つかる。
だがオオクワガタは身を隠せる場所がない限り、樹液が出ていてもそこに来ることはない。
台場クヌギのウロやカミキリムシが羽脱した穴、樹皮の大きなめくれがあり、そこから樹液が出ていることが絶対条件になる。そしてもう一つ、フジの木がクヌギやコナラに巻き付くと、締め付けにより樹液が滲むことがある。そこにオオクワガタが潜める隙間があれば、絶好の棲家になるのだ。
しかし自然界において、こうした“好物件”は少ない。山梨県など台場クヌギが多数残された地域を除けば、一つの山にオオクワガタが入れる条件の揃った木は、数えるほどしかないという。
では入居にあぶれた個体はどうなるのか? 妥協して他のクワガタたちと同じように樹液を舐めて、土に潜って寝ればいいと思うのだが、それができないらしい。
キクリンに言わせると、こういうことになる。
「オオクワガタは常に一等地を目指すんです」
なんとタワーマンションの高層階にしか住めないらしいのだ。あぶれ個体のその後を調査したデータはないのだが、おそらく外敵に捕食されていると思われる。
その一帯に棲家が一つしかない場合、メスは産卵に出ていくので、入れ替わりに他のメスが一番強いオスと同居できるが、二番手、三番手のオスはエサにありつけることもメスと交尾することもできないことになる。なんか哀れだなぁ……。
山梨県や大阪府能勢地域は、古くからオオクワガタの“多産地”として知られてきた。
後者の能勢地域は、現在では開発が進んで生息個体が少なくなってしまったが、山梨県は今も健在である。その理由は多数の台場クヌギが残され、山林が手入れされているからだ。
台場クヌギとは、薪にするために枝を伐採し続け、樹高が低いまま幹周りが太くなったものだ。樹齢が100年を超えるものもあり、内部が朽ちてウロが生じながら樹液を出している木も多い。オオクワガタにとっては高級マンションが用意されているようなものだ。
「成虫の個体数」は「ウロのある樹液木の数」に比例するとも言われている。
夏場の樹液採集は難易度が高い
キクリンの案内で、山梨県のあるポイントへ行くと、そこにあった台場クヌギの巨木が幹の途中から倒れていた。洞内が朽ちて重みを支えきれなくなったのだろう。キクリンが過去にも採集した木だったので、とても残念そうだった。残った幹の周りを見たがもうオオクワの気配はなかった。
とにかくオオクワガタは棲む場所に異常なこだわりをもつ。同じ潜洞性のクワガタでも、コクワガタやヒラタクワガタは入る穴がなければ、小さな窪みでも身を寄せているが、オオクワガタは決して妥協しない。
人間でいえば間取りの良い部屋(ウロや樹皮めくれ)が空いているだけでなく、そこが昔からの高級住宅街(二次林ではなく自然林)でなければならない。
食事(樹液)は外食せずに家の中に限る。さらに家の前に目障りな建物があるとダメ(開けた空間が好き)で、日当たり、風通し全てが条件となる。強いていえば3階建て以上(木の高い場所)が好きで、周りに竹林があるとさらに良い。
ああ、オオクワガタよ。こんな物件、そう簡単にあるはずなかろうが。
冬季の材採集に比べて、オオクワガタの夏場の樹液採集は、難易度が数段高くなる。樹液木を1日に何カ所も見て回るのは、山梨のような多産地でなければ難しい。
キクリンが車のトランクを開けると、伸縮タイプのはしごと木登り用のステップを取り出した。これまでも道具を使わず10メートルくらいの高さに、軽々と登っていくのを見てきたが、今度はいったいどんな場所だというのか!?
警戒したスズメバチが近づいてくる
はしごをかけたのは、崖の上にあるコナラの木だった。根元付近の直径は70センチくらいあり、まっすぐに伸びた幹にはかなりの高さまで枝がない。筆者もその木まで行こうとしたが、斜面がキツく滑り落ちそうになった。
崖はほぼ垂直に40メートルほどの高さに切り立っており、コナラが生えているのはそのふちだ。キクリンははしごをかけると3メートルの高さまで登った。そこからさらに5メートル上に、直径4センチほどの穴が空いている。
おそらくカミキリムシが羽脱した痕だろう。樹液が幹を伝って出ており、カナブンやスズメバチの姿が確認された。
どうするのかと見ていると、木登りステップを幹に巻き付けた。そこに足をかけて、両手で木に抱きついて垂直に登っていく。これは腕力だけでなく、腹筋、背筋、足腰の強さ、全てを要する。1メートル間隔で次のステップをかけ、ウロが覗ける高さにたどり着いた。
警戒したスズメバチがキクリンの顔に近づくが、体を支えているため、手で振り払うことができない。体を反らしたり、首をすくめたりして離れるのを待つ。その様子を見守りながら、冷や汗が流れた。彼の位置から50メートル下には、崖底が広がっている。
「入口を掃除した痕があるので、中にオオクワがいるんだと思います」
自分の棲家を清潔に保つために、中の木屑を外にかき出すらしい。わずかな痕跡なので、経験を積んだ採集人でなければ気づけないだろう。しかし穴は深く、角度を変えながら覗き込むも潜んでいる主の姿は捉えられない。
「樹液が出ているのに、コクワガタや他の虫もついていない。中にそれらよりも強い虫がいるのは間違いないと思いますが、今は無理ですね」
木を傷つけることなく、中にいる虫を外に出す方法はある。虫が嫌う薬品等を少量嗅がせることで這い出させるのだ。販売目的に捕獲するのであればそうするのだろうが、キクリンにとってこの場所は過去にオオクワガタがいることを確認している場所であり、あえてリスクを冒してまで取り出す必要がない。あっさりと見切りをつけた。
自然を相手にするのに、時間は限られている。広大な山を見て回るためには、的確な判断が必須だ。筆者の未練をよそに、彼ははしごをたたむと次のポイントへと向かった。
山に祈る
入山を前にして、キクリンは両手を顔の前で合わせると、うつむいて祈りを捧げた。そして密生した笹をかき分け、急な傾斜を登り始める。筆者はその後を懸命に追った。夏の森林は植物の葉が茂り見通しが利かないので、急がねば彼の背中を見失ってしまう。
キクリンの姿が消えた。慌てて見上げると、樹上7~8メートルのところに彼はいた。幹に巻きついたフジの木に足をかけ、登っていったのだ。ポカンとして眺めながら、「まるでジャックと豆の木だな」と思った。
フジがクヌギを締め付け、樹皮が傷ついたところから樹液が出ている場合がある。そこに絶妙な隙間があれば、オオクワガタが入ることがあるという。キクリンはこのポイントに3年前から注目してきたが、まだターゲットの姿を確認したことはなかった。片腕で体を支えながら、小型のライトでフジの隙間を照らしていく。その眼光は野生動物の如く鋭い。
「何か怪しいのがいますね」
樹上からの声に、体が熱くなった。次の言葉を待ちながら、心臓がバクバクする。
「お尻しか見えないのですが……、たぶんオオクワだと思います」
隙間に潜っている個体が見えるという。だがキクリンは左手で木につかまっているため、右手しか使うことができない。スティックを隙間に差し込み、それ以上奥に入り込まないようにするのが精一杯だ。
もし、心無い採集者ならば、ここで木を傷つけてもオオクワガタを採ろうとするだろう。
しかし、一度天然の隠れ家を壊してしまえば戻ることはなく、再び形成されるまでには何年もかかる。だから虫たちの棲家を奪うことはしてはならないのだ。
「オスみたいですね。頭の向きを変えてくれれば、顎に輪を掛けられるのですが……」
キクリンはライトを口に咥え、先に輪がついたスティックをオオクワガタの顎先に掛けようとしていた。細いワイヤーでできた輪は、掛けた後に絞れば抜けないようになる。そうしてオオクワガタを引き出す作戦だ。
こうした道具はインフィニティーのメンバーによる自作品である。片手で木につかまりながら、チャンスを待つ。ジリジリと時間が過ぎていく。人間と虫の根競べだ。
奥に逃げ込めないオオクワガタが体勢を変えようと動いた。隠れていた頭部が初めてあらわになる。そのチャンスを達人は見逃さなかった。大顎の内歯 (〈ないし〉突起の部分)にすかさず輪をかけることに成功した。
「中歯(ちゅうし)、いや大歯(〈だいし〉顎が大きく発達したもの)です!」
無理に引き出すと顎が欠けたり、頭部と胸部の付け根にダメージを与えたりする。ゆっくりと引きながら、個体を這い出させなければならない。オオクワガタの脚の力は強く、ここからの格闘は30分に及んだ。
“本物”はいつもフィールドにある
そして、ついに樹上のキクリンが微笑む。姿を現したワイルド個体(野生で捕獲した個体)を手に、こちらに向かってかざした。そのシルエットは、まごうことなき追い求めたクワガタのものだった。
サイズは約60ミリで、無駄のないスリムな体のラインに目を奪われる。それは自然界が研ぎ澄ました究極のフォルムだ。
「混じりけのない、純粋なこの産地の形状だと思います」
個体をじっくりと見つめてキクリンが言う。「混じりけのない」というのは、放虫されたオオクワガタ、またはそれらと交雑した個体ではないという意味だ。
多産地である山梨県でも、この地域は分布が薄く、採集例をほとんど聞かないという。
彼の知る中でもレアポイントであり、数年前から狙った木で採れたことに満足感があるようだった。
「本物はいつもフィールドにあります。自分で考え、実践し、つかむことで実感できる。これは現地で体験しないとわからないことです」
【写真】「カッコよすぎ…!」“カリスマハンター”たちが命懸けで採集する「幻の虫」(10枚)
野澤 亘伸:カメラマン/『師弟~棋士たち魂の伝承』著者
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