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虎に翼モデル「三淵嘉子」弁護士でも開店休業の訳 戦争の足音聞こえる中で、教師の仕事が軸に

東洋経済オンライン / 2024年8月28日 10時30分

『虎に翼』(写真:NHK公式サイトより引用)

NHKの連続テレビ小説『虎に翼』が放送以来、好調をキープしている。毎朝の放送のたびに、SNSでも大きな話題となっているようだ。主人公・佐田寅子(ともこ)のモデルとなっているのが、女性初の弁護士で、女性初の裁判所長となった三淵嘉子(みぶち・よしこ)である。実際にはどんな人物だったのか。解説を行っていきたい。

憂鬱な弁護士試補としての下積み時代

『虎に翼』のモデルとなった三淵嘉子は、父が仕事の都合でシンガポールに赴任しているときに生まれた。当時、「シンガポール」は漢字表記で「新嘉坡」とも記されたことから、両親はそこから「嘉」の地をとって、長女となる娘に名づけたようだ。

【写真】嘉子が修習を受けた弁護士事務所が入っていた丸ノ内ビルヂングは、現在丸の内ビルディングに

民主的な思想を持った父から言われた「何か専門の仕事をもつための勉強をしなさい」という言葉を胸に、嘉子は法律を学ぶことを決意(記事:「虎に翼」のモデル"三淵嘉子"人生支えた父の一言参照)。同じ志を持つ仲間たちと学生生活を楽しみながら、昭和13(1938)年に司法科の試験に合格を果たす。

当時、裁判官や検察官は男子に限るとされていたため、嘉子は弁護士の道へと進むことになった(記事:虎に翼モデル「三淵嘉子」が愕然とした"差別文言")。

昭和11(1936)年に弁護士法が改正されたことで「弁護士試補制度」が導入され、1年半にわたる修習制度が新たに設けられた。嘉子は、丸ノ内ビルヂング内にある、仁井田益太郎の弁護士事務所で修習を受けることになる。

やる気に満ちあふれた嘉子は、さぞ張り切ったであろう……と思いきや、自分の父親のような世代の男性たちと一緒に議論するのは、やや気が重かったようだ。「私の歩んだ裁判官の道」で、嘉子は当時のことを次のように振り返っている。

「討論の場で若い小娘が年輩の男性の自尊心を傷つけるような議論ははばかられ、遠慮しながらの発言で常に欲求不満が胸にたまっていた」

いかなる状況においても、自分が正しいと思うことだけを言葉にしたい――。嘉子のそんな思いは、やがて弁護士から裁判官へと転身させることになる。

開戦によって民事裁判が減少することに……

修習を終えると、嘉子は弁護士試補考試に合格。昭和15(1940)年12月に、弁護士登録を無事に終えている。

引き続き、仁井田益太郎の弁護士事務所で勤務することになり、ついに嘉子は弁護士としてのキャリアをスタートさせる……はずだったのだが、なかなか思ったように活躍できない。戦争が始まってしまったからだ。その影響を嘉子はこんな言葉で説明する。

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