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24時間テレビ「慈善番組で金儲け」批判への違和感 「出演者はギャラ返上」「広告費は全額寄付」は現実的か

東洋経済オンライン / 2024年9月3日 20時5分

やす子さんのチャリティーマラソンでは4億円以上もの募金を集めた(画像:「24時間テレビ」公式Xより)

前記事ではやす子さんのチャリティーマラソンについて書いたが、本稿では「24時間テレビ」全体のあり方について考えてみたい。

【写真】「透けてない…?」チャリティーマラソンで物議を醸した「やす子さんのウエア」

「24時間テレビ」は先進的な取り組みだったが…

近年の「24時間テレビ」は毎年批判される“炎上コンテンツ”となってしまっている。

特に今年は、日本テレビ系列の日本海テレビ社員による寄付金の着服問題、これまで旧ジャニーズタレントを起用してきたメインパーソナリティーの廃止、台風接近……とさまざまな問題に直面し、例年以上に多くの批判を浴びることとなった。

批判の中には、真っ当なものもあれば、的外れなものもあるが、色々な意見が交錯していて、何が本質的な問題なのか(あるいは問題でないのか)がわかりづらくなっている。

批判の論点を整理し、その正当性を検証しておくことは、本番組に限らず、これからのチャリティーや寄付のあり方を考えるうえで、意義のあることであると考える。

「24時間テレビ」は1978年に始まり、今年(2024年)で47回目を迎えた。現在では、企業や著名人が社会貢献活動を行うことは一般的なことだが、開始当時はそうではなかった。

アメリカのスーパースターたちが集まり、USA For Africaを結成し、チャリティーソング『We Are The World』がリリースされたのは1985年だが、「24時間テレビ」はそれに7年先行している。

その意味では「24時間テレビ」は先進的な取り組みであり、日本のチャリティーイベントの先駆けとして高く評価されてもよさそうなものだ。しかしながら、現状ではそうした評価は得られていない。

どうしてこのような状況になってしまったのだろうか?

「24時間テレビ」に対する4つの批判

現在における「24時間テレビ」への批判を整理すると大きく4つに分けられる。

1. 放送内容に対する批判(“感動ポルノ”、“偽善”など)

2. 費用に対する批判(タレントへのギャラ問題など)

3. 寄付金の集め方や活用方法への批判

4. 番組やテレビ局の不祥事トラブルに対する批判

1に関する批判は以前からあったが、顕在化したのは2016年だろう。

この年の「24時間テレビ」の放映時間中に、NHK Eテレの“障害者バラエティー番組”「バリバラ」が、「検証!『障害者×感動』の方程式」というタイトルの特集を組んだ。そして、番組の中で障害者を感動の道具とする“感動ポルノ”に対して異議を唱えた。本番組は、視聴者から大きな共感を集め、Twitter(現X)でもトレンド入りした。

この番組の影響を受けたのかどうかはわからないが、最近の「24時間テレビ」は“障害者の感動物語”のようなものは減っているようにも見える。ただし、“感動ポルノ”や“感動の押し売り”という批判は依然として続いている。

障害者に限らず、逆境に負けずに努力を重ねるストーリーは受け入れられにくくなっている。「根性」「忍耐」という言葉も死語とまでは言わないまでも、古臭く感じられるようになった。

いまでも「24時間テレビ」に感動する人がいるからこそ、一定の視聴率と募金額が確保できているのはあるだろう。ただ、視聴率も募金額も減少傾向にあることを考えると、番組の内容が時代遅れになっているところはあると思う。

一方、「24時間テレビ」を批判する形となったNHKは「プロジェクトX」の新旧作を放映しているが、同番組も旧作放映時と比べると、共感を得にくくなっている。本作もいずれ“感動ポルノ”と言われる可能性は十分にあるだろう。

人を寄付やボランティアなどの社会的行動に移させるために、感動を与えることは依然として有効なやり方だ。番組が提供する“感動”が時代遅れなのであれば、テーマを再検討するなり、演出のやり方を変えるなり、新たな“感動”のあり方を模索すればよいだろう。

“チャリティー”と“お金儲け”のジレンマ

続いて、2、3の批判について考えたい。両者はいずれもお金の問題であり、裏表の関係にある。お金の流れが見えにくいことが、「24時間テレビ」が批判される要因となっているように見える。

まずは、2の費用に関する批判から先に見ていきたい。

今回にしても、お笑いタレントのやす子さんのチャリティーマラソンのギャラが1000万円だったといううわさが流れ、やす子さん自身がXに「チャリティーマラソンのギャラ1000万円ってデマが飛び交ってるけど、一銭もいただいてないですよ!憶測やデマをすぐ信じちゃうのやめたほうがいいですよ」と投稿して否定した。

ロックバンド「X JAPAN」のYOSHIKIさんも、Xに「過去も今回もギャラはいっさいもらいません」と投稿している。

一方で、過去の日本テレビ側の発言や、メディアの報道を見ても、すべての出演者が無償というわけではないのも事実のようだ。

この点について、「チャリティー番組だから無償でやるべきだ」「海外のチャリティー活動は大御所でもノーギャラだ」という批判がある。

欧米に関して言えば、大御所の芸能人ともなれば、莫大な資産を持っている。それを世の中に還元するべきだという社会通念もあるし、そうすることで人びとから賞賛を得ることもできる。

しかし日本においては、いくら社会貢献だといっても、すべての出演者に他の仕事を犠牲にして無償で出演してもらうことは、現実的ではないように思う。

「募金の一部が出演者のギャラに使われるのはおかしい」という批判もあるが、これも的外れな主張だ。

「24時間テレビ」のチャリティー事業は、公益社団法人である「24時間テレビチャリティー委員会」が設立してそこで行っている。決算報告書も公開されている。毎年、支払い報酬の費目に100万円程度計上されているが、これが出演者のギャラに当たるとは思えない。

出演者のギャラや番組制作費は、あくまで日本テレビが負担しているはずで、その原資は広告収入から充てられているはずだ。ただ、そうなると「チャリティーなのに広告収入を得ているのはいかがなものか?」という、また別の批判が出てくる。

特別番組を放映してはいるが、通常と同じビジネスモデル(広告収益を得る無料放送)で放送活動を行っており、それとチャリティー活動がセットになっている(ただし、チャリティー活動は社団法人を設立して切り分けている)のが、「24時間テレビ」だ。

テレビ放送を通じて、視聴者を啓発したり、募金を促進したりできるのが大きな強みであるが、放送活動の部分が、「チャリティーのあり方に反する」「商業主義に走っている」という批判も呼ぶ結果になっている。

昨今の批判の激化の背景には、多くの企業が社会貢献活動を行うようになり、「24時間テレビ」の商業主義的な側面が目に付くようになってきたという事情もありそうだ。

社会貢献には“持続可能性”が不可欠

最近、“サステイナビリティ(持続可能性)”という言葉をよく耳にするようになっているが、この考え方は社会貢献事業において非常に重要だ。

「出演者は無償でやれ」「日テレの社員は無給でやれ」「広告収入は全額寄付に回せ」という批判があるが、確かにそれが実現できれば理想的だ。ただし、それは“持続可能”とは言いがたい。

例えば、「せっかくなら環境にやさしい服を買おうかな」と思っているときに、「いま着ている服を破れるまで着続けるべきだ」「古着を買うほうが環境にいい」と言われたら、どう思うだろうか?

「そのほうがいい」と判断し、「そうしたい」と思えばそうすればよいし、「そこまでするのはつらい」と思うなら、相手の意見に従う必要はない。「環境にやさしい服を買うほうが、そうでない服を買うよりはいい」というのも、また真実だ。

いくら正しくても、我慢を強いられるような方法は長続きしづらい。

よくも悪くも、「24時間テレビ」は日本テレビ、あるいは系列テレビ局の収益事業の足を引っ張らなかった(あるいは収益事業に貢献した)からこそ、47回も続いてきたと言える。

一方で、「環境にいい服を買っているのだから、たくさん服を買ってもいい」という発想になると、本末転倒になる。

“持続可能性”を担保することは重要だが、チャリティー活動が免罪符になったり、過剰に利益を得たりすることは避けなければならない。そうした意味では、しっかりチェック機能を持つことは重要であるし、健全な批判には真摯に耳を傾けるべきだとは思う。

残念ながら、「24時間テレビ」に対する批判の多くは、“持続可能性”を考慮しておらず、有用なものとは言いがたい。

企業の社会貢献活動が活発化する中で、活動の目的、活動の過程や結果を明確にすることが重要になっている。

「24時間テレビ」は放送時間も長く、規模の大きい活動であるから、活動の目的や寄付金の用途を絞り込むことは難しい。

しかし、今年のやす子さんのチャリティーマラソンのように、「過去に児童養護施設に身を寄せていたやす子さんが、施設の支援のために走る」と目的を明確化して、企画内容もそれに沿ったものにすることが重要だ。

そして、寄付金の着服問題も起こる中、「どのようにしていくらの寄付金が集まり、それがどのように使われて、どのような結果になったのか」という情報開示もさらに求められるようになった。

事業計画書や事業報告書、決算報告書は開示されており、それを読めば概略はわかるのだが、シンプルすぎるし、何よりもそれを探して読む人はほとんどいないだろう。

情報を開示することで、余計な批判を招いてしまうところもあるのだが、SNSに限らず、メディアも実態を理解せずに批判をしていることが多いので、誤解を訂正するうえでも適正な情報発信は必要だ。

“不祥事”はどのくらい問題だったのか?

最後に、4の不祥事やトラブルに関して述べておきたい。

今年、最も批判を浴びたのが、寄付金の着服問題だ。これが発覚したのは昨年11月だが、今年の「24時間テレビ」の放送時にも、着服に対する「説明がない」「謝罪がない」という批判を受けている。

誤解している人も多いのだが、着服を行ったのは、日本テレビではなく、系列局の「日本海テレビ」(鳥取)の「社員」である。

日本テレビが組織ぐるみで着服を行ったのであれば、今年の「24時間テレビ」はおろか、番組自体の打ち切りも検討しなければならないほどの大きな不祥事である。

日本海テレビは日本テレビの系列局であり、日本テレビは大株主でもある。そういう企業の社員個人が着服を行ったというのが本事件だ。

従業員が横領を行った場合、責任を問われるのは、当該の従業員であり、企業ではない。今回は寄付金の着服ではあるが、日本テレビに責任が問われるとしても、せいぜい管理責任までであって、着服したことに対してではない。

日本テレビ側が謝罪や説明を行うとしても、「管理が十分でなかった」「今後の寄付金の管理を徹底する」といったこと以上は言えないし、それ以上のことを言うと、「日本テレビが寄付金を着服した」という誤解を招いたり、必要以上に責任を負わされたりすることになってしまう。

旧ジャニーズ事務所の問題は解決したか

旧ジャニーズタレントの起用については、むしろ昨年にメインパーソナリティーとして起用したことのほうが問題であったと思う。一部のファンからの批判はあるだろうが、メインパーソナリティーを廃止した今年は健全化したと言えるだろう。

多くのテレビ番組でSTARTO ENTERTAINMENT社(旧ジャニーズ)のタレントが出演するようになっているが、社会性、公共性の高い「24時間テレビ」で慎重になることは当然のことだ。

旧ジャニーズとテレビ局の関係の問題は、「24時間テレビ」あるいは日本テレビに留まらず、テレビ業界全体で検証し、反省しなければならないことだ。

「24時間テレビがやめられないのは、なんだかんだ言って視聴率が稼げるからだ」という批判もあるが、そう主張するメディアの多くも「24時間テレビを叩いておけば、アクセスが稼げる」と考えているように思える。

「24時間テレビ」がなくなれば、叩く相手もいなくなるのだから、健全な批判をして、共存共栄を目指してはどうだろうか。

西山 守: マーケティングコンサルタント、桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授

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