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虎に翼のモデル「三淵嘉子」裁判官に転身した理由 わずか結婚生活4年半で夫が亡くなってしまう

東洋経済オンライン / 2024年9月4日 10時0分

虎に翼(写真:NHK公式サイトより引用)

NHKの連続テレビ小説『虎に翼』が放送以来、好調をキープしている。毎朝の放送のたびに、SNSでも大きな話題となっているようだ。主人公・佐田寅子(ともこ)のモデルとなっているのが、女性初の弁護士で、女性初の裁判所長となった三淵嘉子(みぶち・よしこ)である。実際にはどんな人物だったのか。解説を行っていきたい。

三淵嘉子に憧れて満州から来た学生も

我が国において、三淵嘉子は女性で初めて弁護士になった。しかし、昭和16(1941)年12月に太平洋戦争が始まると、状況は一変する。

【写真】すぐに裁判官になれなかった嘉子。ちょうどそのころ最高裁判所の発足が予定されていた。写真は最高裁判所。

国が戦争している最中に、国民が私的な争いで、お上を煩わせてはならない……そんなムードのなか、民事訴訟の数は激減。弁護士活動よりも、母校の明治大学女子部法科での教師活動のほうが、メインになっていった(参照記事「虎に翼モデル「三淵嘉子」弁護士でも開店休業の訳」)。

そんななか「日本では女性初となる弁護士が誕生!」というニュースを観て、法律家を志した女性も少なくなかった。なかには、満州国から明治大学女子部法科に入学した者もおり、憧れの嘉子に会ってドキドキしていると、「遠くからよく来られたわね」と優しい笑顔で声をかけられたという。

嘉子自身も勉強に励みながら、仲間との学生生活も存分に楽しんだだけに、満州からやってきた女学生にも、そんな充実した日々を送ってほしいと応援したい気持ちでいっぱいだったのではないだろうか。

彼女が靴に不自由をしていると知ると、嘉子は「あそこなら作ってくれるかもしれない」と言って、横浜元町の靴屋まで連れて行ってくれた……と、当人がのちに感謝を込めて、嘉子と思い出をつづっている。

結婚生活たった4年半で夫を亡くす

それと同時に、そんな刺激的な学びの日々が、戦争によって奪われていく様についても、満州から来た女学生は、こんなふうに書いている。「和田先生」「武藤先生」とは嘉子のことだ。

「戦争がだんだんひどくなって来て、法律の勉強の外に、防空演習、救護訓練など、さかんにやらされるようになり、和田先生となられた武藤先生も、先に立って訓練に出られ、大変な時期も御一緒に過ごしました」
(平林英美「三淵さんとの出会い」三淵嘉子さん追想文集刊行会編『追想のひと三淵嘉子』三淵嘉子さん追想文集刊行会より)

やがて、嘉子の夫・和田芳夫のもとに召集令状が届く。一度目は健康の都合で見送られるも、翌年に再び召集がかけられて戦地へ赴くことになる。

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