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道長の躍進支えた「源倫子」がキレた"夫の失言" お祝いの場でいきなり退席し、道長は困惑する

東洋経済オンライン / 2024年9月22日 14時0分

藤原行成の日記『権記』によると、詮子は弟の道長の土御門邸や一条邸で世話になっていた。いずれの邸宅も、もともと源雅信から倫子に譲渡されたものであるため、その謝意として、倫子の昇進を一条天皇に申し出たのだという。

すると、今度はそんな詮子に感謝を示すために、道長はもてなしの場を開いて、念珠の筥、装束の筥二合、銀製の手洗・瑠璃の水甁、錦や染絹などを詮子に贈っている。会食のセッティングからお礼の品々の選定まで、そこには妻・倫子の気配りがあったことは言うまでもないだろう。

また、こんなこともあった。寛仁3(1019)年6月9日には「左大臣の藤原顕光が辞任する」という噂が宮廷を駆けめぐり、大臣のポストが1つ空くと、権中納言たちが色めき立った。

道長と倫子の子である藤原教通が新たな内大臣の候補として囁かれるなかで、藤原道長の異母兄に当たる藤原道綱は、倫子にこんな呆れたお願いをしている。

「自分は病もきわめて重く、政務にも堪えられません。ただし、上席の納言として何年も苦労を重ねてきました。うかがった話によれば、左大将の藤原教通を内大臣に任じるとのことですが、私にその内大臣を貸していただけないですか。1カ月ほど出仕して、辞退しようと思います」

道長にかけ合ってダメだったので、妻の倫子にアプローチしたが、やはりダメだったようだ(当たり前だ)。

時に、その人物の性格は「どんなことを言ったか」と同じくらい「周囲にどんなことを言われるような人だったか」に現れたりする。倫子は、周囲からお願い事をされやすい、温和な人柄だったのではないだろうか。

倫子が夫に激怒したシンプルなワケ

そんなふうにいつも周囲に気配りをした倫子だったが、お祝いの場でいきなり退席して、道長を慌てさせたことがあった。

それは、寛弘5(1008)年11月に「五十日(いか)のお祝い」が執り行われたときのことである。

道長からすれば、娘の彰子と一条天皇との間に待望の世継ぎが生まれて、50日目のお祝いだ。可愛い孫の敦成親王にすりつぶした餅を食べさせながら、道長は上機嫌そのもの。思わず饒舌になって、こんなことを口走った。

「私は中宮の父にふさわしく、私の娘としても中宮は恥ずかしくない。妻もまた幸運に微笑んでいるようだ。いい夫を持ったなあ、と思っていることだろう」

道長からすれば、酒の席での戯れにすぎなかったことだろう。だが、この発言を聞くや否や、妻の倫子はその場から退席してしまう。異変を察した道長は、そのあとを慌てて追いかけたという。

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