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「持論を現実に」信仰という石破首相が持つ力 著名な宗教家だった曾祖父から受け継いだDNA

東洋経済オンライン / 2024年10月9日 7時40分

金森や明治から昭和の言論界で活躍した徳富蘇峰ら、この洋学校で机を並べた約40人は、「熊本バンド」と呼ばれ、同志社の礎を築いた源流の1つとされる。熊本バンドは「熊本から来たグループ」という意味で、同志社の宣教師が名付けた。

金森はプロテスタントの中でも、アメリカ東海岸の流れをくむ会衆主義の教会、日本キリスト教団岡山教会の初代牧師も務めた。

30代半ばで政界や実業界にも進出。59歳の頃からは「世界一周伝道」と銘打ってアメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどで海外伝道活動を行い、晩年は湘南の嶺山で原始的な洞穴生活をし、「今仙人」と呼ばれた。バイタリティあふれるなかなかの野心家で、世界を股にかけた行動派だ。1945年3月、享年87歳で亡くなった。

佐藤氏は金森について、「日本の歴史に残るたいへんな宗教人」と述べている。

金森は前述の自伝で幼少期を振り返り、「私は太平の子ではない、動乱の子である」と記す。また、熊本の私塾「日新堂」で学んでいた15歳の頃には、「此の頃から私は自身自ら天下を治めるの大望を抱いたのである。ここで私は初めて国家的人物になった。そして又心霊的人物となった。天下国家を治めんとするものはまずその身を治め、その心を正しうせねばならぬからである」と述べ、キリスト教入信後もこうした精神を維持していたと明かす。

「当たり障りを顧みず、誰に遠慮も会釈もせず、又手加減もせず、只一方向きで馬車馬の様にその目的に向かって疾走するのである。これは私の癖であり、又短所でもある。誠に損な性分である。事は成っても人は敗れる。が併(しか)しそこにまた私の長所もあるだろう」(『回顧録―金森通倫自伝』)

その性格といい、伝道師風の物言いといい、石破氏と似ていないだろうか。理想を振りかざす書生肌の石破氏も、頼れる側近がほとんどいないと指摘されている。

日本経済新聞の2015年2月23日付の記事によると、石破氏はその偉大な宗教人の曽祖父について、「親戚の間ではあの寡黙で謹厳実直な二朗さんの息子がなんで茂さんなのか、どうも金森通倫の遺伝子が突然あらわれてきたのではないかといわれている」と自ら述べている。

「神はいない」なんて考えたことがない

作家の佐藤優氏は、石破氏が慶応義塾高校進学後に通っていた世田谷の教会に注目する。プロテスタントの中のカルヴァン派の教会だからだ。

佐藤氏は講演で「カルヴァン派の考え方は、その人の使命は生まれる前から決まっている。成功する人も失敗する人も生まれる前から決まっている。その人にはその人にしかない使命があるわけ。どんな逆境があってもどんなに無理だと言っても神様の声だけを聞いていれば必ず成功するという教えだ」と指摘した。

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