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苦境にあった氷河期世代が互いに罵り合う悲哀 団塊の世代のように束になって発言ができない

東洋経済オンライン / 2024年10月10日 16時10分

では、円高の時はどうだったのか? 約15年前の2010年前後は1ドル=90円台の超円高の時代でした。輸出企業は円高で利益の出ない国内生産を諦めました。円安とまったく真逆の世界ですから、いくら日本国内でコストを削って製造しても、ドル建てでは値上げしなくては円に直した時の利益が出ません。

ですから、多くの企業が日本国内で製造することを諦め、海外のコストの安い国、当時目を見張る勢いで成長し続けていた中国にこぞって製造拠点を移転しました。当然、国内で生産に携わっていた人々は職を失うか配置転換を余儀なくされました。

政策当局への批判材料にできる便利なもの

この時メディアは、「産業の空洞化だ! 日本の製造業が危機に瀕する!」と批判していました。今と違うのは、この時実は非正規労働者も雇用を失って生活の危機に瀕していましたが、そこに関しては「年越し派遣村」報道に見られる通り、政府の福祉が足りないという批判に終始していました。

マクロ経済政策、特にインフレ率と雇用には相関関係があることが今では知られています。アベノミクスはまさにここに作用して雇用が引き締まれば賃金が上がりインフレ率が上昇するという経路で経済を刺激しようとしました。

しかし、当時は(いや、今もですが)「財政出動は悪。金融緩和は禁じ手」というイメージで報じられることが圧倒的に多く、経済が低迷しているのは改革が足らないからだ、日本企業は生産性が低いから円高になり産業が空洞化するのだ、という非常にタカ派的な議論が幅を利かせていました。当時は当時で、円高を批判的に捉えていたんですね。

このように、為替は一方のみを照らせば常に政策当局への批判材料にできる便利なものといえます。円安になれば「生活者の味方」とばかりに輸入価格の上昇を批判し、円高なら円高で産業空洞化だと批判する。自分たちは安定した雇用と収入がありますから高みの見物で反権力のポーズを決めていればそれでいいと思っているのでしょうか?

飯田 浩司:アナウンサー

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