電車かバスか?川崎を走った「トロバス」の軌跡 わずか16年で姿を消した工場地帯の「通勤の足」
東洋経済オンライン / 2024年10月12日 7時0分
電車なのか、バスなのか――。戦後の復興の最中にあった神奈川県川崎市に、風変わりな乗り物が登場した。その名はトロリーバス、略して「トロバス」と呼ばれた。
【写真を見る】懐かしの川崎駅前「小美屋デパート」の前を走る車両や架線がU字状に張られた折り返し地点の様子など、短期間で消えた川崎のトロリーバス現役時代の姿
見た目はバスと一緒だが、日本語の名称は「無軌条電車」。つまり、レールのない電車で、法的には鉄道の一種である。道路の上に張られた架線から屋根上のトロリーポールで集電して車道を走る、なんとも不思議な乗り物だった。
このトロリーバスは川崎市営だった。川崎市の市営交通事業は、戦時中の1944年10月14日に市電が開通したのに始まり、今年で80周年。戦後の1950年12月にはバス路線を開設し、そして1951年3月にトロリーバスの運行を開始した。本稿では、この川崎市のトロリーバスが登場した背景を探ってみることにする。
東日本初だった川崎の「トロバス」
日本でトロリーバスが最初に登場したのは1932年の京都市営、2番目が1943年に開業した名古屋市営とする資料がある。だが、実際には1928年に兵庫県川西市の新花屋敷温泉・遊園地のアクセス用に開業した日本無軌道電車(民営)が最初だった。この路線は営業不振のため、わずか4年で廃止されている。
東日本で最初に登場したのが川崎市営で、全国では4番目ということになる。
【写真】懐かしの川崎駅前「小美屋デパート」の前を走る車両や架線がU字状に張られた折り返し地点の様子など、短期間で消えた川崎のトロリーバス現役時代の姿
すでに充実した市電の路線網を持っていた東京や横浜と異なり、川崎には戦時中に急ごしらえで敷設された、わずかな距離の市電(2023年6月8日付記事「25年で姿消した不遇の路面電車『川崎市電』の軌跡」)しかなく、路線バスの網羅性も低かったのが「東日本初のトロバス」の栄誉を手にできた理由であろう。
ちなみに、都営トロリーバスが開業したのは1952年5月、横浜は1959年7月だった。
バスと電車をミックスしたようなトロリーバスが、なぜ戦後間もないこの時期に登場したのか。
その理由の1つは当時の燃料事情にあった。戦前、戦中と石油の輸入を断たれて苦しい思いをした我が国の燃料事情は、今後もどうなるかは分からなかった。当時はガソリン不足のため、代燃車がまだ残っていた。
当時の状況について、神奈川中央交通のホームページには「戦中戦後の石油燃料の欠乏期には、大いに活躍した代燃車でしたが、戦後徐々に姿を消し、当社においても昭和27年の初頭に代燃車を全廃しました」と、戦後もしばらくの間、代燃車が使われていたことが記されている。
このような事情から、アメリカをはじめ海外での実績があり、動力費の安いトロリーバスが注目されたのだ。また、軌道が不要なトロリーバスは設備投資の面でも有利であり、日本の狭い道路事情からしても、市電よりもふさわしいと思われた。こうしたことから、GHQもトロリーバスの導入を強く指導したという。
だが、実際に導入してみると、デコボコな道路やカーブでは架線からトロリーポールが外れやすく、乗務員泣かせな乗り物だった。
架線を張れない踏切、どうやって越えた?
川崎のトロリーバスは1951年3月、川崎駅前から中島一丁目、大島四丁目、池上新田を経由して桜本に至る3.65kmで開業した。ところが翌1952年1月、京急大師線の塩浜―池上新田―桜本間を川崎市が買収し、川崎市電の路線に組み込んだことから、池上新田―桜本間で市営交通が重複することになり、トロリーバスの終点は池上新田寄りに移設された。
1954年8月には、埋め立て地の水江町までの延伸が果たされた(池上新田―日立造船前間1.8km)。当初、水江町地区には、日立造船川崎工場があっただけで従業員数も少なかったが、日立造船工場の拡張と他社工場の建設が進められ、「同地区からの路線延長要望が強く」(『市営交通40年のあゆみ』川崎市交通局)延伸が実現したのである。
トロリーバスは、道路事情の変化の影響も受けた。
だが、川崎駅付近の道路混雑が激しくなると、起点の古川通(小美屋デパート前=現・川崎ダイス前)でのUターンが困難となり、1962年11月からは、川崎駅付近を両回りの循環線(川崎駅前―大島四丁目間)とする、テニスのラケット状の経路を走るようになった。さらに1964年10月には、終点側が鋼管水江製鉄前まで延伸され、路線長が最長となった。
架線からの集電によらず、補助動力で走行する区間が存在したことにも触れておくべきであろう。1964年3月に塩浜操駅(現・川崎貨物駅)が開業し、浜川崎駅と塩浜操駅間を結ぶ国鉄貨物線が開業すると、池上新田付近で、当時は地上を走っていた貨物線(1500V)とトロリーバス(600V)の異電圧平面交差の問題が生じ、トロリーバス側の架線を切断することになった。
この架線のない区間を、トロリーバスは新たに搭載したバッテリーを動力として走行することになった。具体的には国鉄貨物線との交差の手前で運転席の操作でトロリーポールを下げ、バッテリー走行で貨物線の踏切を越える。その後、再びポールを上げてゆっくり走行すると「ポールはガイドにつれて架線に入る」(『川崎市無軌条電車』吉川文夫)という仕組みだった。
同様の問題は他のトロリーバスでも発生し、東京都ではディーゼルエンジンを積んで対処したという。いずれにせよ、車体重量が増加するため、経済性が悪くなった。
16年で廃止、今も残る車両
このように市街地と臨海工業地帯を結び、工業都市・川崎の通勤需要を支えたトロリーバスだったが、活躍した期間は短かった。レールがないとはいえ、架線に沿って進まなければならず、渋滞時に小回りが利かないのは市電と同様であり、また、ディーゼルバスの発達により、動力費における優位性もなくなった。さらに、張り巡らされた架線が、高層化する建物の消防活動の妨げになるおそれも生じた。
川崎のトロリーバスが廃止されたのは、1967年4月。開業からわずか16年での閉幕であった。その車両が1台、今なお高津区の二子塚公園という小さな児童公園に保存されている(104号車)。屋外設置ながら上屋があるため、今日まで風雪に耐えることができたのだろう。隣の横浜市へ移籍した車両もあったが(701~704号車)、その横浜市のトロリーバスも、横浜市電とともに1972年3月に廃止された。
川崎のトロリーバスの廃線跡は、容易にたどることができる。JR川崎駅前発の市営バス「川10系統」水江町行が、かつてのトロリーバスと同じ経路を走っているのだ。このバスに乗車して終点の水江町へ向かう途中、池上町バス停を過ぎた付近から、道路脇に鉄道の廃線跡が見えてくる。神奈川臨海鉄道水江線の廃線跡だ。
神奈川臨海鉄道は、上述した塩浜操駅と同時に開業した貨物鉄道会社(2023年2月26日付記事「川崎・横浜の港を走る、知られざる『貨物線』の実力」)で、川崎地区では塩浜操駅を起点に水江・千鳥・浮島の3地区を結ぶ貨物線3路線を保有・運行していたが、2017年9月、このうちの水江線が廃止された。
水江線はかつて、造船・セメント・鉄鋼・石油などの各企業の引込線と結ばれ、大量の貨物を運んだ。とくに国鉄の奥多摩駅および東武大叶線(おおがのうせん。1986年廃止)の大叶駅から輸送する日本鋼管(現・JFEスチール)向けの鉄鋼の副原料となる石灰石輸送は華々しかったが、1988年3月にこの石灰石輸送が廃止されると、以後は荷主がなくなり、保守用機関車が1日1往復するのみとなっていた。
日本から消えるトロリーバス
水江町地区の水江線廃線跡の敷地は、水江町と東扇島を橋梁でつなぐ臨港道路整備事業用地(橋梁の橋脚を現道に建てるための拡幅用地)となっており、いずれ道路になる。すでに工事は始まっているので、かつて鉄道が走った痕跡が少しでも残っているのを見るならば今のうちだ。なお、川崎貨物駅付近には、今なお水江線のレールや信号機などが残されている。
さて、今回は川崎のトロリーバスを中心に見てきた。CO2削減が課題となっている今となれば、トロリーバスは環境に優しい乗り物だったと理解されるが、東京(1968年廃止、以下カッコ内は廃止年)、大阪(1970年)、横浜(1972年)などの大都市では、市電とほぼ同時期に次々と姿を消していった。モータリゼーションの進展と公営交通事業の財政悪化がその理由だった。
そして、日本に最後まで残ったトロリーバスである「立山トンネルトロリーバス」も老朽化のため、2024年11月30日を最後に運行を終える予定だ。
森川 天喜:旅行・鉄道ジャーナリスト
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