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2浪6留「医学部合格」更に待ち受けた"浪人生活" 医師免許のため勉強する日々、運命の出会いも

東洋経済オンライン / 2024年10月13日 9時0分

この結果を受けて、2浪をする決意をした山田さん。自分に合う予備校を探し、個別指導の授業をしてくれる、とある塾に入学します。すると、その指導が山田さんに合ったそうで、成績が伸び始めました。

「市販の参考書を自分で進めて、わからないところを聞くことで効率よく偏差値が上がりました。河合塾の全統記述模試では、偏差値62くらいは取れるようになりました。得意な科目はさらに伸びて、苦手な科目でもやりがいを見いだし始めた1年でした」

しかし、この年もセンター試験は7割近くに終わり、3回の東大受験はすべて2次試験に進むことなく終わってしまいました。

ただ、この年はほかに北里大学、杏林大学、慶応大学、帝京大学の医学部医学科を受験し、このうちの1つに繰り上がり合格することができたため、2浪で進学する決断をしました。



「苦手科目が伸び始めたときに受験が終わってしまったという感覚でした。3浪・4浪したら東大に行けた世界線もあったのかもしれませんが、自分の中では東大に価値があったというよりは、本気を出したらそこまで行けるのかを確かめたかったのです。せっかく大学に受かったので、これ以上浪人するのもつらいし、2浪して東大に行けないのならもういいか、と諦めました」

こうして終わった彼の大学受験生活。山田さんはこの2年を振り返って、「それまでの人生で挑戦したことがなかったから、いい機会だった」と振り返ります。

大学合格、浪人はここからが本番だった

しかし、彼の「浪人」はここからが本番でした。

ようやく大学に進んだ山田さんは、休学2年を含む、6回の留年を経験します。

「私は高2から2浪の終わりまで一貫して東大志望で、どう足掻いても無理だとわかったので、併願で受けた医学部に入りました。だから、医学部がどういうところかをまったく知らないまま入ってしまったのです。

『大学に入ったし、とにかく遊ぼう!』と思ってしまった私は、(医学部が)進級が厳しくて、しっかり勉強をしないといけない学部だと知らないまま生活を送って、気づいたらただでさえ進級が厳しい学部なのに、周囲からも完全に嫌われてしまい、進級に必要な資料や試験対策プリントなどをもらえなくなりました」

山田さん自身も資料を同級生にあげつつ、ギブアンドテイクをしているつもりだったそうですが、遊んでいる人間だというイメージが定着してしまったそうで、『授業に出ていないのに資料をほしがる人』だと周囲に思われてしまったようです。

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