1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

モンゴル出身者が見た中国流商談の卑劣な手口 儒教国家としての認識は改める必要がある

東洋経済オンライン / 2024年10月16日 17時0分

レンガは2週間ほどで天津港に着き、さらに1週間かけてチベット高原の一部である青海省に列車で運ばれてきた。

ところが翌日、中国側が「レンガが割れている」とクレームを入れた。「そんなはずはない」とみんなで見にいくと、前日は何ごともなかったレンガが割れていた。

彼らは損害賠償を含めてもっと大量のレンガを送るように要望した。日本の社長が拒めば、また戦時中の話を持ち出すに決まっている。私が日本の社長に「レンガを壊したのは彼らでしょう」と話すと、彼は「原因を追及したところで、どうしようもない」とあきらめていた。

中国側は工場建設を急ぐ一方で、日本企業から大量のレンガをせしめようと考えたのだろう。やっていることが矛盾だらけだった。結局、日本から再び大量のレンガが運び込まれた。

ガラスを溶かす窯を設置すると、日本の技術者は「窯が馴染むまで数日かかる」と説明したが、レンガが届けば翌日にはガラスができると考えていた中国側は「早くしろ」と急き立てた。技術の話や理屈が通じる気配はない。大学を出たばかりの私から見ても、中国側はことあるごとに無理難題をふっかけていた。

観光のあいだに技術資料を盗み出す

中国側が日本企業の技術を盗もうとしたこともある。私が日曜日に宿泊先で休んでいると、数人の警官に囲まれた。自分たちは青海省の国家安全部の者だと名乗り、次のように語りだした。

「日本人が技術を提供しないから、われわれは彼らから奪うことにした。そこで、君に協力してほしいことがある。次の休日に彼らを青海湖へ案内してくれ。泊まりがけで観光しているうちに、われわれは彼らの金庫から技術資料を盗み出して写しを取る」

次の休日、日本企業の社員と私たちは美しい青海湖へ出かけ、彼らの計画は実行された。モンゴル人とチベット人が遊牧する青海湖へ向かうとき、日本のS部長が大きなリュックを背負っているので「こんな大荷物、どうしたんですか?」と尋ねると、大切な資料はみんな持ってきたと話していた。

中国側が盗み出せたのは、あまり重要でない技術資料だけだった。私は悪事の片棒を担ぐことにならなくてよかったと安堵した。

ガラス工場での経験は、日本と中国の関係について深く考える機会を与えてくれた。中国人の対日意識の問題とともに、日本人の対中意識にも問題があると気づかされたのだ。

私は1989年春に来日すると、中国を訪れた日本人から「非常に嫌な思いを味わった」という話をたびたび聞かされた。おそらくガラスメーカーの社長と似たような経験があるのだろう。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください