僕が覚えた「足裏もみ」が大人になって役立った話 燃え殻「風呂場で思い出すのは若き日の父の姿」
東洋経済オンライン / 2024年10月31日 16時0分
そのとき、居間の電気が点いていることに気づく。僕は眠気まなこで、這うように居間を目指す。するとそこにはスーツの上着がハンガーにかけられ、丸まった靴下が形跡を残すかのように、ソファに置かれていた。風呂場の電気が点いている。僕は導かれるように、風呂場に向かう。風呂のドアはすこしだけ開いていて、その隙間から湯気がもくもくと立ち上っていた。
「お父さん」
ズボンの裾をめくり上げ、シャワーの湯で入念に足を洗っている父親の背中に思わず声をかけてしまった。
「おう、起こしたか」
一日働いて帰ってきた父は、あからさまに疲れ切っていた。そのあと、二、三言葉を交わしたはずだが、なにを話したのかは思い出すことができない。
父のアドレス
取材と原稿の締め切りをなんとか終わらせ、ほとほと疲れ切り、熱いシャワーで足を洗っていた僕は、ふとそのときの父の顔を思い出した。父がやっていた儀式を、自分がやっていたことに、いまさらながら気づいた。
風呂場から出て、タオルでしっかり拭いて、いつも通り缶チューハイを取りにいく。そのとき、出来心で父にメールを送ろうと思って、スマートフォンを手に取った。そこで初めて、父のアドレスを知らないことに気づく。えもいわれぬ申し訳なさが、心を締めつける。今度の休み、父の好きなあんみつでも持って、実家に帰ろうと思う。そのとき、アドレスを聞くかどうかは、まだ決めていない。
「ちょっとこっちおいで」と祖母に呼ばれる。
それは小学校低学年の夏休みのことだった。家族で、父がたの実家に里帰りをした晩の出来事だ。一杯飲み屋をやっていた祖母が、店を閉めてひと段落したあと、日本酒の熱燗を呑みながら、赤ら顔で僕を呼んだ。着物の上に白い割烹着を着た祖母は、いつになく上機嫌だった。祖母は突然、僕の左足を引っ張ると、足の裏を揉み始めた。僕はなにが始まったのかわからなかったが、とにかく、くすぐったくてゲラゲラ笑いながら、一生懸命逃げようとした。
「疲れが取れるだろ?」祖母が揉みながら聞いてくる。
「全然疲れてないよ!」
くすぐったさをこらえながら僕はそう答えた。
そりゃそうだ。こっちは小学校の低学年だ。五十を越えたいまの僕なら、隙あらば「足裏マッサージに行かせてくれ」とあらゆるスタッフに懇願するが、当時は足がだるいという感覚すらなかった気がする。そしてしばらく僕の足の裏を揉んでいた祖母が、「はい、じゃあ交代」と言って、自分が履いていた足袋を脱いで、僕のほうに両足を放り投げた。
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