限界集落の廃校で絵を描き続ける85歳彼の人生 活動資金は年金・絵の売り上げ・入館料
東洋経済オンライン / 2024年11月2日 8時30分
山梨県の最北端の山深く、瑞牆山(みずがきやま)を望む限界集落に、絵画に情熱を燃やし続けている人がいる。
【画像26枚】限界集落にある廃校をアート作品にする工藤さん。その美しすぎる、圧倒的な作品たち
今年85歳になったその人物は工藤耀日(くどうてるひ)。この場所から見えるみごとな瑞牆山の風景に惚れこんで終の棲家と決め、2004年に廃校を借りて移り住み、日々創作活動に打ち込んでいる。
限界集落で生きる、画家の情熱に満ちた人生
2008年には「工藤耀日美術館」として一般公開。近くの集落からは少し離れた、つづら折りの急な坂道を登っていった先にあり、聞こえてくるのは鳥のさえずりや風の音だけ。その環境と施設内の天井に天界を描いていることにちなみ“天空の美術館”とも呼ばれている。
校舎内の教室や廊下、そして体育館には、墨彩画150点ほどを展示しており、すべてが工藤さん本人による作品だ。
【画像26枚】「体育館全体を一つの芸術作品にしたい」…限界集落にある廃校をアート作品にする工藤さん。その美しすぎる、圧倒的な作品たち
個人美術館であるため、一般的な美術館とはシステムが異なる。入館しても受付に係がいるとは限らない。
そのときは、自ら工藤さんのプライベートルームとなっている職員室に出向き、入館料1000円を支払って受付を済ませる必要がある。工藤さん自らが絵の解説をしてくれるアットホームさも、ここならではだ。
館内を案内してもらいながら、いかにして絵に取り組み、現在のこの地にたどり着いたのか、工藤さんの画家人生について話を伺った。そこには絵の道を探求し続けてきた一人の画家の情熱に満ちた人生があった。
廃校を自分の絵で埋め尽くす
工藤さんのお話の前に、まずは館内の様子を紹介したい。
作品が並ぶ校舎は、廃校当時の状態そのまま。学年が書かれた室名札が見られ、階段を上るときのギシギシと軋む音には、昔の木造校舎ならではの情緒を感じる。
敷地内には教室や職員室がある建物以外にも、理科準備室、技術室、給食室などの建物が点在する。かつては泊まり込み業務を行う宿直の先生がいたことから、宿直室や風呂場が見られる点は、昔の学校ならでは。
ドラマやプロモーションビデオのロケ地にも選ばれるノスタルジックな雰囲気で、かつてここで子供たちが青春時代を過ごしてきた息遣いが聞こえてきそうな空間が広がっている。
工藤さんの絵画は豪快な筆さばきに加え、色使いは実に独特。展示の多くは墨画の持つ「余白の美」と西洋画の持つ豊かな色彩で感情表現を加えた「墨彩画」であり、西洋と東洋の精神を融合させた芸術作品となっている。
武田信玄やマイケル・ジャクソンなどの人物を題材にした作品は躍動感にあふれ、日本三大桜、中国の黄山などの風景を題材にした作品は、美しさに加え迫力も満載だ。
「私の場合は、下書きはせず一気に筆を動かすんです。下書きをするときれいに描くことを意識するから筆が動かなくなるんですよね。躍動感があって生きてる感じを描きたいから、筆と体を一体化させて筆先にすべてを任せる形で描いています」
工藤耀日美術館の一番の見どころは“女神館”と称される体育館だ。壁や天井全体がビッシリと絵で埋め尽くされた、想像を超える世界が広がっている。
「体育館全体を一つの芸術作品にしたい」と制作に着手。壁一面には波と女性、樹齢2000年ともいわれる山高神代桜を描いた地上界が表現され、天井には縦24メートル、横14メートルになる天界が描かれている。天界から見下ろす龍の眼差しに圧倒され、地上界を躍動する女性の表情や姿にも惹きつけられる。
体育館ではベートーヴェンやモーツァルトのクラシック音楽が流れており、荘厳な音楽も相まって、どこか不思議な世界にワープしたかのような錯覚に陥ってしまう。
着手から10年間籠もり続けて描いた、まさに工藤さんの絵の集大成である。
この工藤さんの迫力ある絵の世界観はいかにして形作られたのか、画家人生を聞かせてもらった。
47歳、絵の道を求めて放浪の旅へ
工藤さんは1939年、北海道の利尻島に生まれた。父親は仕立て屋をしていたという。
絵の道に目覚めたきっかけは中学生のときに教科書で見たゴッホとピカソの絵だった。20歳で武蔵野美術大学に進学して油絵を専攻。卒業後は大学の助手を務め、その後は独立して千葉にアトリエを構えながら絵の活動を行っていた。35歳で発表した油絵『私の家族』で名を上げ、この絵は第三文明展の大賞を受賞。
岡本太郎とも交流を持ち、数々の個展を開くなど油絵の世界では名の知られた画家となっていった。
そんな工藤さんの画家人生は、ある言葉がきっかけで一変することになる。武蔵野美術大学の名誉校長・名取堯(なとりたかし)が語った「本当にいい芸術作品は、その裏に宗教か哲学がある」というフレーズだ。
宗教か哲学。それがなければいい作品はできないのではないか。そこで工藤さんは聖書やコーランなどの聖典を読み、古今東西のさまざまな宗教・哲学を学ぶようになった。勉強を重ねていく中でとりわけ仏教に感銘を受けたことから、47歳のタイミングで日本を飛び出し、チベットやインドを放浪した末に中国にたどり着き、そこで18年間過ごすことになった。
「とにかく私は自分が納得できる絵を描きたくて、そればかり考えていました。油絵で評価はされてたんですけど、家も売って仕事も辞めて、着の身着のままで中国に渡ったんです」
旅の目的は、芸術を再発見して絵を創作すること。寝袋を背負い、河原などで寝る野宿生活をしながら、風景を眺めたり、美術館を訪問する旅路を歩み続けた。
中国・安徽省にある黄山では、水墨画の世界そのままの雄大な光景に惚れ込み、何度も黄山に登っては山頂のホテルに数カ月泊まり込んだ。ホテルでも、時には結核で入院した病室でさえも、朝から晩まで筆を握り続けた。
いかなる環境下でも自分を追い込み、常に芸術の探究に挑み続ける日々。
黄山をきっかけに描き続けた墨画は評価され、中国のメディアからたびたび取材を受けるほか、北京の中国美術館では日本人初の個展を開催するまでになった。
中国に単身渡り、気づけば18年の歳月が流れていた頃、私生活では翻訳をしてくれていた中国人女性と結婚。中国で生涯を終えることを考えていたものの、妻の助言から、90を過ぎた母の面倒を見るため日本に帰国することになった。
瑞牆山の麓を人生の集大成の地に
日本に帰国した後、工藤さんは人生の集大成として臨める場所を探していた。自分が納得する絵を描き続けるために広い場所が必要だったのだ。
そして、中国で黄山の風景に惚れ込んだように、創作意欲を刺激する雄大な山を望む環境が好ましかった。
富士山が眺める富士吉田市などいくつか候補があったものの、同じ山梨県内の須玉町(現北杜市)から見える瑞牆山の風景が工藤さんの心を掴んだ。
日本百名山に選定され、日々多くの登山客が訪れる標高2230メートルの瑞牆山。黄山を彷彿とさせる花崗岩で形成された荒々しい山容に感銘と懐かしさを覚えた。
須玉町(現北杜市)の増富地区には増富中学校があったが、ちょうど2004年に廃校になったことも重なり、借り受ける形で活動の拠点とした。
妻と共に移り住み、東京に住んでいた母親を呼び寄せる。そして、4年後の2008年4月には美術館として一般公開。
好きなことを続けられたことに感謝
客はまばらであるが、自然に囲まれた廃校という特殊な空間を独占しながらじっくり絵を眺められるのが嬉しい。
目立った宣伝はしておらず、来館者の多くは口コミ。以前は地上波テレビでも紹介されお客さんがたくさん訪れたこともあったが、新型コロナウイルスの影響で途絶えてしまったという。
85歳になった今でも、描き続ける工藤さん。足腰もしっかりしており、大きな病気もなく過ごせているのは、好きなことをやり続けられているからだという。
しかし、絵を描き続けるためには、健康だけでなくお金も必要だ。材料費がかかるほか、大きな絵となると展示するだけでも人手が必要で、人件費もかかる。
今の活動資金は年金、たまに売れる作品の売り上げ、そして1000円の入館料、この3本柱だ。お金に余裕はないものの、周りに助けられ何とか続けられてきた経験こそが、日々の活動の支えになっているという。
「今もお金はないんですけどね、やってるうちにどっかから助けが出てきてできちゃうんですよ。だからもういいや。好きなことをやり続けてやろうとね」
これだけの芸術作品を生み出し、創作活動にも終わりが見えたかと思いきや、まだまだ工藤さんの作家活動は終わらないという。生き続ける限りは、とにかく絵を描くことに集中し続けたいそうだ。
「階段や廊下の天井など、建物にはまだまだスペースがたくさんありますからね。これからもたくさん絵は描き続けたいですし、死ぬまで筆を握り続けたいと思ってます」
人里離れた廃校で、工藤さんは今日も明日も絵を描き続ける。
【その他の画像も多数】工藤さんが描いた圧倒的な作品たち。廃校のアトリエも雰囲気たっぷり
ギャラリーその1
ギャラリーその2
ギャラリーその3
ギャラリーその4
丹治 俊樹:日本再発掘ブロガー・ライター
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