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「米津玄師の名曲」教養あると楽しめる楽曲の背景 知識を身に付けていると気づく楽曲の裏側

東洋経済オンライン / 2024年11月7日 16時0分

それは、「別れ」です。

まずそもそも、「花に嵐」という言葉は、「山椒魚」「黒い雨」などの小説で有名な井伏鱒二が、中国の漢詩をこのように訳したことで有名です。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

後半の「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」に注目してください。『さよならだけが人生だ』という言葉は有名ですよね。映画やドラマでもセリフとして使われている場合もあります。

実はその前の言葉が、『花に嵐のたとえもあるぞ』なのです。この言葉は、于武陵の「勧酒」という漢詩を訳したものだと言われています。そちらもチェックしてみましょう。

花發多風雨
人生足別離

(花発けば風雨多し
人生別離足る)

僕はこの意味を「花が咲いて、そのまま綺麗なままで残っていてほしいのに、雨風が多くてすぐに散ってしまう。それと同じように、綺麗で終わりのないことが望ましいにもかかわらず、人生も別れが多いものだ」というような意味だと解釈します。

これを井伏鱒二は「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」と訳したというわけです。

そしてそこから、「花に嵐」「花嵐」という言葉は、「綺麗な花が咲いたのに、雨風や嵐ですぐに散ってしまうかのように、人生には別れが付き物だ」という、花の儚さと人生の別れを象徴するような表現として使われることが多くなりました。

花が咲く時期というのはとても短いですよね。綺麗なままでずっとあってほしいと思っているにもかかわらず、そんなことは不可能で、すぐに散ってしまいます。

古文漢文の勉強をしていると、花が散ってしまうことの寂しさを歌った和歌や漢詩をたくさん読むことができます。

昔の人も現代人も同じように、「花が散ってしまう」ということに対して寂しさを感じていて、それと同じように人生や人間関係にも終わりがあることを惜しいと思う……そんな気持ちを表したのが「花に嵐」だったわけです。

教養を得て見えてくる世界がある

そう考えながら「花に嵐」「花嵐」「花風」などの曲を聞いてみると、なんとなく明るさの中に切なさが感じられるようになります。背景となる井伏鱒二の言葉を知っていると、花が散ってしまう儚さと、相手との離別を感じて、感情が揺さぶられるのです。

ちなみに、米津玄師さんの「花に嵐」が収録されたアルバム「YANKEE」には、ほかにも「海と山椒魚」という曲があるのですが、これも井伏鱒二を感じさせます。「山椒魚は悲しんだ」から始まる井伏鱒二の代表作・「山椒魚」が背景にあるのではないか、と感じられるわけですね。

勉強して教養を得ることで、見えてくる世界があります。「勉強なんて意味がない」と考えずに、勉強して見えてくる世界を楽しんでみてください。

西岡 壱誠:現役東大生・ドラゴン桜2編集担当

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