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世界一の「オランダ教育」現地日本人が見たリアル ブログやSNSで語られる「素晴らしさ」は本当か

東洋経済オンライン / 2024年11月9日 10時0分

では、なぜこのような多種多様な教育が可能なのか。

まずオランダでは憲法23条にて「教育の自由」がうたわれている。これは日本国憲法でも保障されている「学問の自由」の「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」という「教育を受ける側」の話ではなく、「教育機関を設置する側」の自由のことである。

大きく分けると以下の3つだ。

1 学校設置の自由
2 教育理念の自由
3 教育方法の自由

これにより、「誰でも」「どんな理念でも」「どんな手法でも」、学校を設立することが認められている。

その背景は19世紀初頭にさかのぼる。

当時は、キリスト教やユダヤ教など、宗教の教えに基づく教育を行う学校の認可や、公立校との補助金の格差をなくす運動が長く続けられていた。その結果1917年の憲法改正により、上述の「教育の自由」が認められるようになった。

現在は、さまざまな理念のオルタナティブ教育の学校も加わり、「オランダでは100の学校があれば、100の教育がある」とまで言われるようになった。

もちろん学校設立時には厳格な審査がある。カリキュラムにおいても、オランダ語や算数など最低限の科目、授業時間数などの条件は守らないといけない。また、毎年政府や自治体による審査が入り、教育の質や経営体制が保たれるようになっている。

筆者の住む自治体には、日本の公立校の感覚に近い一般的な教育を行う小学校が多い。ただ日本のように「学習指導要領に沿って、どこでも同じ内容の教育を受けられる」わけではない。

市内の隣接する小学校を比べても、使う教科書、音楽や図画工作にあてる時間数、校外活動の有無など、違いは多い。授業時間ですらも、筆者の子どもが通う小学校では下校時間が15時で、水曜は午前授業だけだが、隣の小学校は毎日14時下校だ。

多様性と個性を尊重するオランダ

このように「みんながみんな同じ教育」ではなくても問題がないのは、オランダ社会に根付く多様性や、個性を尊重する考え方が根底にある。みんな違って当たり前、それを1つの型に収めようとするほうが難しいならば、一定の枠組みのなかで自由にしたほうが合理的なのだ。

学校内でも「みんな同じ足並みでやりましょう」という場面は、日本に比べて少ない。

たとえば勉強ができる子は特別クラスや飛び級制度がある。苦手な子は無理に進級させず、もう一度同じ学年を履修する。読み書きが苦手な識字障害の生徒には、特別な体裁の本が使われる。

つまり、無理を強いたりつらい思いをさせたりするよりも、個々に合う方法でステップアップしていくことを重視している。

またマイノリティへの理解も深く、小学生の時点で性自認が異なることを公表している子もいれば、同性愛カップルの両親を持つ子どももいる。移民も多く、肌や髪の色、生活習慣も多様だ。

ラマダン(イスラム教徒の「断食」期間)の時期にはお弁当を持ってこない子もいる。もちろんいじめや差別がまったくないわけではないが、海外から移住してきた子どもも比較的なじみやすい環境だと思う。

「画一で標準的」な日本の教育とずいぶん違う「多様で個性的」なオランダの教育。どちらが良い悪いではなく、それぞれの歴史が育み、社会が望んで形成してきた教育の形だ。

福成 海央:オランダ在住ライター、科学コミュニケーター(海外書き人クラブ)

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