妻亡き後に2人の娘、世を捨てきれない親王の心境 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・橋姫①
東洋経済オンライン / 2024年11月24日 19時30分
「うち捨ててつがひさりにし水鳥(みづとり)のかりのこの世にたちおくれけむ
(父鳥をうち捨てて母鳥が去ってしまった後、かりそめのこの世に子どもたちはなぜ残ってしまったのか)
悲しみの尽きないことだ」と涙を拭っている。顔立ちのたいそううつくしい宮である。長年の勤行で痩せ細ってしまったけれど、かえって気高く優美で、心をこめて姫君たちのお世話に明け暮れている日々に、すっかり糊(のり)も落ちてやわらかくなった直衣(のうし)を着て、取り繕わずにいる姿は、気後れするほど立派である。
水に浮かぶ水鳥のように
大君が硯(すずり)をそっと手元に引き寄せて、すさび書きのようにあれこれと書いているのを見て、
「これに書きなさい。硯の上に書きつけるものではありません」と紙を渡すと、大君は恥ずかしそうに書きつける。
いかでかく巣立ちけるぞと思ふにも憂(う)き水鳥(みづとり)の契りをぞ知る
(どうしてここまで大きくなったのかと思うにつけても、水に浮かぶ水鳥のようにつらい我が身の宿世(すくせ)が思い知らされることです)
それほど上手ではないけれど、折が折なのでたいへん胸を打つというもの……。
筆跡は、この先の上達が予想できる書きぶりだが、まだ続け書きはうまくできない年頃である。「妹君もお書きなさい」と宮が言い、もう少し幼い字で長いことかかって中の君が書き上げる。
泣く泣くも羽(はね)うち着する君なくはわれぞ巣守(すもり)になりは果てまし
(涙を流しながらも羽を着せて育ててくださる父君がいらっしゃらなかったら、私は孵(かえ)らない卵のように育つことはなかったでしょう)
姫君たちの衣裳も着古していて、そばに仕える者もなく本当にさみしく、またそのさみしさを紛らわしようもないが、それぞれかわいらしい様子でいるのを、どうしてしみじみといたわしく思わずにいられようか。宮はお経を片手に持って、ときにそれを読み、また姫君たちに琴を教えるために唱歌もする。大君に琵琶(びわ)、中の君に箏(そう)の琴を教える。まだたどたどしいけれど、いつも合奏しつつ稽古しているので、そう聴きにくくもなく、じつにおもしろく聴こえる。
次の話を読む:12月1日14時配信予定
*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです
角田 光代:小説家
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