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「居酒屋で隣に座る」くらいの距離が重要な訳 若者にも広がる「誰かとつながりたい」感覚

東洋経済オンライン / 2024年12月12日 8時10分

マイケル・サンデル氏が、リベラリズムの限界を指摘し、共同体主義(コミュニタリアリズム)を提唱して一世を風靡しました。

一方で、コミュニタリアリズムは、コミュニティの中だけで固まって、排除の論理が生まれてしまいます。リベラリズムは、リベラルな普遍主義を共有する人は全て平等というものですが、コミュニタリアリズムに平等の思想はないのです。

排除と協調のバランスが常に難しく、排除に行きすぎがちという問題があるわけですね。すると、狩猟採集時代の部族の人数が一番盤石だということになるのかもしれません。

僕には「開かれた共同体」が作れないだろうかという問題意識がずっとあります。

抑圧しない共同体があり、なおかつ、入れ替え可能なシステムを持っていれば、それが一番いいのではないか。テクノロジーの力を借りれば、ネットワーク共同体のようなものが実現できるのではないかということを、昔から考えています。

例えば、かつての「2ちゃんねる」や「ミクシィ」は、掲示板が中心で、つまり、広場がありました。一方、「フェイスブック」や「インスタグラム」は、自分のフィード、自分のタイムラインしかありません。

自分の友人は、また別の誰かの友人であって、ある意味、壁のない共同体に近いものと言えます。こういった共同体は、求心力は乏しいのですが、閉鎖的ではありません。そして、都市型の共同体とは、このぐらいの緩やかさが良いのではないかと思うのです。

緩やかにつながる都会の共同体

コロナの最中に、東京上空をブルーインパルスが飛んだことがありました。僕は、家にこもっていましたが、それを見ようと思って近くの歩道橋へ上がったのです。

すると、同じようにそこへ来ている人たちがいて、みんなで久しぶりに他の人の姿を見て、一緒に「ワーッ」と声を上げました。

その時に思ったんです。孤独な者同士が、集まってつながっている。この感じが、都会の共同体感覚だなと。このぐらいの緩やかさが、実は望ましいのではないでしょうか。

(構成:泉美木蘭)

佐々木 俊尚:作家・ジャーナリスト

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