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40年前の「牧歌的な渋谷」が外国人の街になるまで 東急vs.西武の「百貨店20年戦争」が生んだ好循環

東洋経済オンライン / 2024年12月17日 8時0分

結果的に消費者側もそれをおもしろがり、渋谷に人が集まるという好循環につながり、渋谷は東京の繁華街として徐々にその地位を向上させていった。

そうして盛り上がってきた渋谷の入口であるスクランブル交差点に面して、ビルの外壁や屋上に広告を満載した古ぼけたビルがあった。現在、巨大スクリーンヴィジョンを持つ「Qフロント」が建っている場所だ。

このビルの名前は「峯岸ビル」。実は、東急グループの一企業が所有していた1960年築のビルだった。

渋谷駅前のハチ公口を出て、混み合うスクランブル交差点を渡り、西武百貨店やパルコなどのある公園通りの方向に行こうとすると、このビル前をどうしても通ることになるのだが、館内のテナントもあまりパッとせず、80年代にはすでに若者の街として賑わっていた渋谷駅前の一等地になぜこんなビルが放置されたままだったのかは謎だった。

百貨店の“小競り合い”の現場だった

その背景には、このすぐ隣にある西武百貨店や、この先の坂上にある西武SEED館やパルコへの入口となる場所を“封印”しておく思惑があったのでは、とも思えてしまう。

ビルの外壁には、若干大きめの「東急ハンズ」と「東急本店」の広告。実は以前に東急百貨店の幹部社員から冗談半分に聞いた話だが「西武さんにちょっといじわるする意味で、あの場所に東急本店と東急ハンズの広告があったんですよ」という話を聞いたこともある。

この峯岸ビルの敷地面積は狭い。しかしスクランブル交差点に面している面が大きいという点に着目し、「広告塔」としての機能に特化して企画された建物が「Qフロント」だった。

Qフロントの竣工は1999年12月。当時はデジタル時代の初期だった。

完成当時からスクランブル交差点に面した巨大スクリーンに次々と映し出される映像のインパクトは大きく、またたく間に東京のトレンドスポットとなったが、当時からここが特に東急色のある存在と印象付けられていたわけでもなかった。

もう一つの中心地だった「センター街」

Qフロントの脇は、渋谷センター街の入口でもある。80年代後半から、東急vs.西武の覇権争いの外側で、もう一つの渋谷の中心となったのが、この渋谷センター街だった。

紺ブレ(紺色のブレザー)とジーンズスタイルが定番の渋カジ(渋谷カジュアル)が10代後半以上の男女に流行り、そのスタイルを身につけた若者がセンター街を中心にした街に溢れた。

中にはチーマーと言われる不良グループもいて、渋谷を舞台に、対立するグループ同士が抗争を繰り広げたりもした。

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