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「仕事と家庭」両立しようと疲弊する人の根本原因 禅僧が解説「疲れや不安を手放す」生き方

東洋経済オンライン / 2024年12月20日 12時0分

人はなにかと、他人と自分とを比較してしまうものだ。「自分は自分、他人は他人」と頭では理解していたとしても、仕事の実力や収入、あるいは外見など、なんらかの点において自分より優れた人が目に入ると、平静ではいられなくなってしまうことも少なくないのである。その結果、「それに引き換え……」と自分のことを卑下したり、嫉妬や恨み、怒り、憎しみなどのネガティブな思いを肥大化させてしまうこともあるだろう。

「隣の芝生は青い」ということばがあるように、自分の育てた庭がどれだけ素晴らしくても、隣の芝生のほうが青々と見えてしまうものだ。第三者の目からすれば大差ないにもかかわらず、自分の目には他人のほうがよりよく映ってしまうわけである。

「盛れば盛るほど」悩みの種が増える

そのため禅では、「比較する」ことを強く戒めているのだという。ただし、それは決して簡単なことではない。そこで、価値観を変えてみるといいようだ。

仏教には「小欲知足」という言葉があります。欲を小さくして足る(満足する)ことを知りなさいという意味です。

しかし現代を生きる人々は「足るを知る」どころか、「まだ足りない、まだ足りない」と追われながら、じりじりと消耗しているのです。(69ページより)

だが小欲知足が許されない社会は、「ありのまま」の自分の価値が認められない社会であるともいえる。だからSNS上では、「盛る」のが当たり前になっているのだろう。「少しでもよく見えてほしい」と感じるからそうするわけだが、盛れば盛っただけ現実の自分との間にギャップが生じ、新たな悩みの種が増えることになる。

では、どうしたらいいのか。

この問いに対して著者は、比較をやめ、盛ることもやめ、自分以上でも自分以下でもない「ありのまま」の自分を生きることが大切だと説いている。そこで、1日10分でもいいので、「自分は、本当に生きたい人生を生きているのか」と自問自答する時間を持つべきだともいう。

その結果、「他の誰でもなく、自分の人生を生きている」と思えたのであれば、それだけで上出来だということだ。

他人と比較する理由など、どこにもありません。私たちに幸福をもたらすのは「盛る」ではなく「足る」のほうです。お釈迦様も、ご臨終前の最後の教えとして次の言葉を残しています。覚えておいてください。

「足ることを知っている人は、たとえ地べたに寝るような生活をしていても、心は安らかで幸せを感じている。しかし、足ることを知らない者は、天上の宮殿のようなところに暮らしていても、満足ということを感じられない。足ることを知らない者は、どんなに裕福であっても、心は貧しい」(70〜71ページより)

「徹する」と楽になる

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