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簡単に思いを捨てられない「心の弱さ」を思い知る 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・橋姫⑤

東洋経済オンライン / 2024年12月22日 16時0分

雲のゐる峰のかけ路(ぢ)を秋霧のいとど隔つるころにもあるかな
(雲のかかっている峰の険しい路(みち)を、さらにまた秋霧までが、父君とのあいだをいっそう隔てているこの頃です)

ちいさくため息を漏らしている様子は、深く人の胸に染み入るようである。

思えばだれもみな同じような無常の世の姿

どれほどの風情がある山里でもないけれど、いかにもいたわしく感じられることが多く、中将は帰りがたいのだが、次第に明るくなっていくので、さすがに顔を見られるのも恥ずかしく、

「なまじお言葉をいただいてしまったので、なおお話ししたい気持ちが増しましたが、もう少し親しくなってから恨み言を申すことにしましょう。それにしてもこのように、世間並みの男と同じような扱いでは心外ですし、ものごとをおわかりにならないのだなと恨めしく思いますよ」と言い、宿直人(とのいびと)が用意した西面(にしおもて)の部屋に行き、もの思いに沈む。

「網代のあたりはずいぶんと騒がしい。けれども氷魚(ひお(鮎(あゆ)の稚魚))も近づかないのだろうか、なんだかぱっとしない感じだけれど」と、網代にくわしいお供の人々は話している。みすぼらしい舟の何艘(そう)かが刈った柴を積んでいる。それぞれに、なんということもない生業(なりわい)のために行き交って、はかない水の上に浮かんでいる様子は、思えばだれもみな同じような無常の世の姿である。「この自分はそんなふうに浮かぶことなく、玉の台(うてな)に安泰でいられる身の上だと思えるような世だろうか」と中将は考え続ける。「さむしろに衣(ころも)かたしき今宵(こよひ)もや我を待つらむ宇治(うぢ)の橋姫(古今集/むしろに自分ひとりの衣を敷いて、今宵も私を待っているのだろうか、宇治の橋姫は)」を思い出した中将は、硯を持ってこさせて、大君に文を送る。

「橋姫の心をくみて高瀬さす棹(さを)のしづくに袖ぞ濡れぬる
(宇治の橋姫の気持ちを想像し、浅瀬をゆく舟の棹(さお)の雫(しずく)──涙に、袖を濡らしています)」

さぞやもの思いに耽っていらっしゃることでしょう」

と書き、宿直の男に渡す。男はひどく寒そうに、鳥肌立った顔つきをしてそれを持っていく。返事は、紙に薫(た)きしめた香りなどからして、並のものでは決まり悪い相手ではあるけれども、このような折にはすぐ返すのがよいだろうと大君は思い、

「さしかへる宇治(うぢ)の川をさ朝夕のしづくや袖を朽(くた)し果つらむ
(棹をさしかえては行き来する宇治の渡し守は、朝夕の棹の雫が袖を朽ちさせてしまうでしょう──私の袖も涙に朽ち果てることでしょう)

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