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ロシア語vsペルシャ語・シリア国内の言語覇権競争 アサド政権下、言語教育を通じた周辺国の影響力

東洋経済オンライン / 2024年12月22日 11時0分

2024年12月15日、シリアのダマスカス、アル・マリキ地区で再開されたムハンマド・ビン・アル・カシム・アル・タカフィ学校の教室で、机に向かう生徒たち。シリアの反体制勢力が、モスクワに逃亡した長年の支配者バッシャール・アル=アサドから首都を奪還したため、学校は1週間の閉鎖を経て再開された(写真・Ali Haj Suleiman/Getty Images)

2024年12月8日にシリアの大統領だったアサドがロシアに亡命し、アサド政権が崩壊してから約2週間が経った。シリア市民はアサド政権に脅えていた日々から解放され、自由を満喫している傍らで、いろいろな変化が起きている。

ロシア文化になじませる努力

ロシアがシリア政府を軍事的に支援する作戦を始めたのは2014年9月30日だった。その後10年間、ロシアはシリア文部省や高等教育省といった政府機関を通して、ロシア語教育の普及をはかった。語学を学ぶとともにロシア文化を学ばせることで、シリア社会をロシア文化になじます努力をしてきた。

ロシアはシリアの地中海に面した沿岸部に、北大西洋条約機構(NATO)の南側面戦力投射用に「タルトゥース海軍補給処」と「フメイミーム空軍基地」の2大拠点を構えた。ロシアはアフリカにおける作戦拠点をリビアにも構えている。シリアの2大拠点はアフリカに物資を輸送する戦略的拠点でもある。

アサド政権が崩壊し、シリアは新たな勢力の支配下にある。もし新政権が旧政権とロシアとの間で結ばれた合意を反故にした場合、シリア地中海沿岸部の2大拠点の利用が認められなくなる可能性がでてきた。現在ロシアはシリアの港湾を失う危機に面している。

今日のようなことになるとは夢にも思っていなかった2015年、ロシアはシリア軍基地近くの公立学校の生徒400人を対象にロシア語を試験的に教え始めた。並行してロシア語教師育成を進めたり、ロシア語教材を無償で配布したり、ロシア語学習ツールを学校に導入させたりした。

他にも、ロシア語教育センターやカルチャーセンター、職業訓練所などを設立した。ロシアへの留学を奨励するなど、ロシア語教育普及はさまざまな方法で行われた。

ロシア語教育はシリア政府支配地域12県217校に導入されることになり、導入7年後にはロシア語教師200人、ロシア語を学ぶ生徒数は3万5000人までにも増えた。

ロシア語教育はロシア語教育以前に始まっていたペルシャ語教育を凌駕していった。

イランによるペルシャ語教育

イランのペルシャ語教育はロシア語教育より数年も前から始まっていたのだが、アサド政権支援のためシリアに軍事介入したロシアが始めたロシア語普及政策に負けた。

シリアの学校では第2外国語は英語かフランス語が選択できていた。ロシアがシリア情勢に介入してからは、ロシア語が英語、フランス語に加え第2外国語の選択肢に加えられることになった。ペルシャ語は加えられなかった。

だがイランはあきらめなかった。イラン・シリア間で結ばれた合意に基づく教育・指導・科学面の交流に乗じて、イラン文化諮問委員会を結成。イラン文化諮問委員会はイランが修繕工事を行い再開した学校では、ペルシャ語を教えることをシリア政府に義務付けた。

首都ダマスカスやホムスの大学、シリア軍大学校等にもペルシャ語の教科を加えさせた。また、シリア各地にホメイニのハウザ(シーア派神学校)の分校を開校した。

シーア派には「フセイニーヤ」と呼ばれる宗教施設がある。首都ダマスカスや地中海沿岸の港湾都市があるラドキヤ県やタルトゥース県などにフセイニーヤがオープンした。

「ホッジャ」と呼ばれるシーア派高位イスラム法学者のセンターや、「教師教育大学」「ムスタファ大学」「ファーラービ大学」「アザード大学」といったイランの大学の分校や、イラン系各種イスラム分派の大学をも開校した。

とくにテヘラン~ベイルートのルート上にあって、イラン系武装勢力の活動の活発なイラン支配地域であるデルゾールやアルブカマールやアル・マヤーディーンといったイラク・シリア国境近くに多くの学校が開校された。

シリア住民の貧困さをも利用した

ISIS(イスラム国、イスラム過激派組織)を追放した後のデルゾールやアルブカマールやアル・マヤーディーンでは、2018年以降にイランの宗教観やイスラム革命思想、ペルシャ語を教える幼稚園や学校やカルチャーセンターが数多く開校された。

これらの地域では、安月給に耐えられず教師が辞めるなどの理由で、教師不足に陥っていた。また賄賂や汚職などの不正もはびこり、教育制度が破綻していた。

イランはその状況とシリア東部住民の貧困を利用した。奨学金や給食、食料品の支給、遠足などで釣って、子どもや青少年をイラン系の学校に通わせた。

また看護や救急救命医療、電気製品の整備や経理・事務、女性には料理や裁縫、美術などの職業訓練を無償で提供した。教育機関や訓練所に通う者らを講演やシーア派宗教行事、文化活動に参加させ、シーア派思想を広めていった。

これらの地域の住民はほとんどがイスラム教スンニ派だ。イランのシーア派思想教育に警戒していたが、結局受け入れてシーア派に転じた人もいる。スンニ派やシーア派への宗派変更は別にイスラム教をやめるわけではないので、罪にはならない。宗派変更の儀式があるわけでもない。

シリアにロシアが入って以降、イランも「ロシアに負けまい」と、シリア人のペルシャ語教師養成をシリア国内だけでなくイランでも行った。養成所を卒業してペルシャ語教師になった人には、給料の他に食料の配給なども行った。

ロシアもそれに対抗して、デルゾールの教師たちに2024年度には3トンの支援物資を届け、300人ほどの教師がその恩恵にあずかったという。

あまりにも安すぎる公務員給料

シリアの公務員は、給料だけでは暮らしていけない。公務員の立場を利用して賄賂や汚職、副業その他あらゆる方法で得た収入で暮らすしかない。

アサド政権下のシリアで2023年に昇給が発表された。副大統領や首相の月給が100万シリア・リラ(正規の為替レートで約100ドル)。副首相や大臣の月給が90万シリア・リラ。知事が69万シリア・リラだった。

シリア・リラの価値は対ドルで下落する一方で、食品価格は上がり続けた。

シリア人兵士の月給は2023年に1万リラから10万リラに引き上げられたが、ドル換算するとわずか7ドル。レバノン停戦と同時に始まったシリア反政府組織とろくに戦わずに、持ち場を放棄したのは、たったの7ドルのために命を犠牲にするのがばかばかしいという理由もあったからだ。

イランがイラン系の学校に通う生徒に支給する奨学金は、3万シリア・リラで、ドル換算にして3ドル未満だ。それっぽっちでも生活の足しに欲しがって、イラン系の学校に通い、ペルシャ語を学んだのだった。

アサド元大統領はシリアを逃亡する3日前となる12月5日、シリア北部情勢の緊迫化にともない危険度が上がったことを考慮してシリア軍人の給料を50%引き上げると発表した。

だが、ロシアに逃げたアサドはモスクワの超高級高層ビルに4000万ドル相当ともいわれる豪華マンションを20戸も所有していると伝えられる。

シリア中央銀行の発表によると、アサドは重さにして2トン近くもの100ドル紙幣や500ユーロ紙幣を飛行機でロシアに運び出したというのだから、言葉がない。

同じシリア国内でも、北部イドリブのイスラム原理主義過激派の戦闘員は600ドルから800ドルほどの月給がもらえていた。リビア内戦時にトルコが募集した傭兵になってリビアに行けば1000ドル以上もらえた。

イスラム原理主義過激派に加わったかと思えば傭兵になったりする動機は、信仰心や思想や怨恨、怒りなどの動機のみならず、純粋に金目当てという人も少なからずいるのだ。

アサド政権崩壊後、テロ指名手配犯で活動名を「ジュラニ」、本名「シャラア」が率いる暫定移行政府は、公務員の給料を400%上げると発表した。

イランがシリアでロシアに負けた理由

スンニ派の多いシリア東部地中海沿岸部におけるロシア化政策とイランのペルシャ・シーア派化政策を比較した調査がある。

これによると、イランがシリア内戦時に地中海沿岸部の田舎に開校した宗教学校、「ラスール・アル=アアダム(最も偉大なる預言者)系列小中学校は、生徒の保護者らから寄せられるシーア派化の思想教育に対する苦情がシリア宗教省に殺到したため、シリア文部省の学習指導要領に沿ってないことを理由に2017年に学校が閉鎖させられた。

イラン系学校とロシア系学校の人気度は地域によって異なる。地中海沿岸部では市民が駐留ロシア軍人と接触する機会が多かった。そのため、ロシア軍人相手に商売をするときに役に立つという理由でロシア語を学びたがる人が多かった。

アレッポなどの工商業都市も、ロシア語を学べばロシアに留学して修士や博士号を取れるとか、港湾や飛行場で働いたり、ロシアによる投資でできたシリア国内の産業などで雇ってもらえたりする機会が増すという理由で、ロシア語を学びたがる人が多かった。

それと同じような理由で、シリア北部のトルコ支配地域ではトルコ語が、クルド勢力支配地域ではクルド語学習者が激増した。

2023年の夏の終わり、アサド元大統領夫妻が中国を訪問した。アスマー元大統領夫人は、北京外国語大学のアラビア語学科の学生向けにアラビア語でスピーチを行い、次のように語ったそうだ。

「人々の意識を乗っ取る最短の方法は言語を攻略することで、自律した決定を征服して、社会をずたずたに引き裂き、アイデンティティを失わせます」

イギリス育ちでJPモルガンなど世界的金融機関に勤めていたアスマーさんがこう語るのは、なんとも皮肉だ。

シリアでは、アサド政権が100万人以上を殺害し、1000万人が国内外で難民となっている。このうち少なくとも200万人はテント暮らしだ。ガザも悲劇なのだが、シリア人はガザよりも多くの犠牲を払い、シリアの悲劇はパレスチナ以上と感じている。

中東は若い人の割合が多く、人口の半分近くが20歳未満だ。難民の半数近くが20歳未満とすると、500万人が学校に通えていないか、通えていてもトルコや欧州などアラビア語圏でない国に行った難民の子たちがいる。

母国語が大切なのは、それにより自分の文化やアイデンティティに誇りを持てるようになるからだ。

難民になった人もならなかった人たちも辛苦を舐めてきた。アサド政権が崩壊した時、シリア全土で民衆が集まって、喜びを分かち合いながら歌った歌詞は以下のようなものだった。

心からの安寧を望むシリア人

「頭を上げろ!おまえは自由なシリア人だ!」

「天国、天国、祖国は天国だ。祖国の火(戦火)さえ天国だ!」

上智大学で学び、アメリカ『ワシントン・ポスト』紙のコラムニストであるジョシ・ロギンは「ワシントンはシリアでの歴史的な機会を逃す」という記事を掲載した。アサド後のシリアを支配するテロ指名組織やテロ指名手配の人々にチャンスを与えてよいのではないかと述べている。

戦禍を生き延びたシリア人は、かつての終戦後の日本のようだ。ようやく普通の暮らしに戻れる、国に帰れると安堵している。心から安寧を願っている。

何もかもが壊れたシリアの復興再建の道のりは長いし、楽ではない。個人レベルの問題行動は散見されるが、アサドを倒した勢力の指導部も大衆の民意も、民族や宗派で対立するのはもうやめよう、仲良く一丸となって国を再建しよう、イラクやアフガニスタンなど他の国々の過ちは繰り返してはならない、というものだ。

アサド政権崩壊後、シリアの事実上の指導者でヘイアート・タハリール・シャーム(HTS「シャーム解放機構)の指導者シャラア率いる暫定政府が樹立しそうだ。

2024年12月20日にアメリカ外交団がシリアでシャラアと会談した。シャラアは話のわかる人だったのだろう。「現実的」な指導者と外交団は好感触を持ったようだ。

シャラに懸けられていた1000万ドル(約15億3600万円)の懸賞金が撤回された。テロ指名解除のために、アメリカ側の条件が提示されたともされる。

アルカイダなどに所属したこともあり、テロ指名されている人物なので慎重に判断せざるをえないが、実際のところ、アサド後のシリアにはシャラア以外の選択肢は存在していない。

筆舌に尽くしがたい苦難と癒ることのない痛みや悲しみを抱きしめて、平和への道を歩もうとしているシリアの前途を悲観する見方もあるが、わたしは平和と安寧を望む人々を応援したい。

アビール・アル・サマライ:「ハット研究所」所長

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