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島田紳助16年ぶりの告白「M-1作った本当の人物」【再配信】 今初めて明かされる、M-1グランプリ誕生秘話

東洋経済オンライン / 2024年12月23日 0時10分

お互い気がついたら、爺さんの歳になりました。

過去を思い出しそれを肴に酒を飲むという、典型的な爺さん。

その思い出が沢山ある方が、間違いなくうまい酒を飲めます。

私の人生において、M-1も最高の酒の肴です。

それは全て谷が、いたからと感謝しています。

谷、あの時M-1を商標登録しておいたらよかったなー。(笑)

凄く今幸せな気持ちになりました。

ありがとう

(文:島田紳助)

「あとがきのあとがき」 谷良一

スマホに突然電話がかかってきた。表示を見ると「島田紳助」になっている。パニックになった。さっき入れ替えたばっかりの新しい番号だ。ということは紳助さん本人からだ。

ぼくはたまらず、周囲に「紳助さんや」と叫んで、あわてて通話ボタンを押した。

紳助さんの熱い声が聞こえてきた。それは速射砲のように止まらなかった。

「M-1は谷とふたりでつくったもんや」

M-1の本を出すことになって今書いています。出版社の人がその本の帯を書いてくれと言ってまして、ぼくは無理やと断ったのですが……、とぼくが言い訳を始めると、

「おれは、おれひとりがM-1をつくったみたいに言われてるけど、ずっと気になってたんや。おれの中ではM-1は谷とふたりでつくったもんやという思いがずっとあってひっかかってたんや。帯はこっちから書かせてくれと頼みたいくらいや」

と、ぼくのことばをさえぎって言っていただいた。

涙が出てきた。ぼくのことなどすっかり忘れられてると思ってたのに。

そのあと、なんともうれしいことばが次から次へとショートメールに送られてきた。帯には書き切れない。

また電話がかかってきた。

「こんなんでいいかな」

「帯には長すぎます。あとがきにさせてください」

引退してからは、一切マスコミに登場することを拒否してきた紳助さんが、まさかこんなに熱い言葉を贈ってくださるとは思わなかった。

漫才プロジェクトであがいていたときに、紳助さんから「漫才のコンテストをやろう」と言われた。そのことばを頼りに動いた。

なぜあんなに動けたんだろう。

自分ひとりで考えてやったことだったら、あんなに自信を持って行動できなかったと思う。

途中で挫折していただろう。

紳助さんがいたから絶対できると思えた

ところが、M-1は紳助さんと一緒につくろうとしたものだ。だからぼくは自信を持つことができた。

スポンサーが見つからなくても、テレビ局に断られても、参加者が集まらなくても、絶対やってやる、絶対できると思って行動した。

なぜかわからないが、心のどこかで絶対にうまくいくと確信していた。

紳助さんと一緒につくったからだ。

紳助さんがいなければ、あんな風に自信を持って行動できなかっただろう。

それに、紳助さんとぼくだけではなく、この本に書いたような、本当にたくさんの人のおかげでM-1はできました。

さらに、今も熱い思いを持ってM-1をつくり続けているスタッフがいます。

そして何よりも、第1回からM-1に挑戦し続けてきた何万人という漫才師の熱い思いがこめられているからこそ、M-1は今も輝き続けているのです。

(文:谷良一)

島田 紳助:元お笑い芸人

谷 良一:元吉本興業ホールディングス取締役

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