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インドでほぼ確でボラれる日本人「歩き方のクセ」 なぜ「騙しやすい奴」と思われてしまうのか

東洋経済オンライン / 2024年12月29日 15時0分

でも、そんな陽気な彼らとどんなにつるんでいても、僕の孤独感が埋められることはなかった。僕は、異質な存在であり続けた。

その僕の抱える異質さを、なんとか埋め合わせようと、彼らも必死だったんだろう。自分が属する世界の枠組みのなかで、日本からフラフラやって来た奇妙な若者の存在をいかに同定することができるか。その試みが、マシンガンのように降りかかる質問攻撃につながっていたのだと思う。

僕の認識のはるかナナメ上で、この世界は躍動感を持ってグルグルと旋回し、手が届きそうで届かない。好奇心の裏で、僕はそんな消化不良感と膨満感と失望感に苛まれていた。

だが、僕なりにこの世界から学び取ったことがいくつかあった。それはまず、僕の「歩き方」から生まれた気づき。

歩き方を変えただけで騙されなくなった!

うつむき加減で歩幅を小さくし、辺りをキョロキョロ物色しながら歩く。すると、最も会いたくないタイプの、腹黒い下心のある人々を引きつけることになる。

旅人の身体技法が、「カモ」であるかないかの最大の判断材料になっているかのようだ。旅が始まった当初は、本当によく騙されたし、ボラれた。なんで僕ばかり狙われるんだろう? というのが、悩みの1つだった。

その後しばらく僕は、イスラエルからやってきた旅人たちを観察しながら、なぜ彼らには腹黒い奴らが寄ってこないのか、秘訣を探ろうと試みた。そして、その秘密のヴェールが剝がされた瞬間があった。歩き方が違うのだ! 

胸を張って、少しガニ股風に大きく歩幅をとる。首はキョロキョロ動かさず、進行方向に固定し、ときおりゆっくりとあたりを見渡す。これだ! と思って取り入れてみると……なんということでしょう! 腹黒い連中との接触が激減したではありませんか!

この小さな気づきは、後にとても興味深い問題意識として膨らんでいった。インドにおいては、他者を理解しようとする初期段階において、表面的な情報や「記号」がとてつもなく大きな意味を持つ。つまり初見でわかるさまざまなサインが、重要な意味を持っているのだ。

もちろん、日本社会でも外見が語るものは大きい。しかし、日本においては「他者を外見で簡単に判断してはいけない」という不文律のようなものが存在していて、じっくりと交わらなければ、他者の「人となり」は理解できないのだという感覚を、僕はいつの間にか身につけていた。

プライベート情報がダダ漏れのインド

ところがインドでは、自らの存在(所属や差異)を提示するための記号に溢れていた。例えば、経済的に豊かかどうかは体格や衣服、装飾で、どの宗教や集団(カースト)に属すのかは衣装やアクセサリー、肌の色や体毛(頭髪や髭)で、未婚/既婚の別は指輪やシンドゥール(既婚女性が頭髪の分け目に沿って塗る朱色の化粧品)、ビンディー(既婚かつ夫が存命中のヒンドゥー教徒の女性がつける額の印。近年は美しい装飾が施されたシールを貼ることが多い)や腕輪(チューリー、バングル)で、といった具合に。あからさまな表現だ。

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